/ブラウンシュヴァイク侯は、フント男爵のドイツ人大移民団を米国独立弾圧の傭兵軍に変え、ロスチャイルド家を通じてその利益を仏大オリエント社のエジプト十字軍に投資。しかし、その大統領オルレアン平等公は武装市民革命を企て、マインツ独立の失敗、ロベスピエールの独裁、ナポレオンのクーデタと、メイソンリーは迷走していく。/
「でも、ゲーテって、フランクフルト市の人ですよねぇ」
「メイソンは、街も国も大陸も越えて繋がるらすごいんだよ。そのうえ、ボーテは、面倒見がよかった。売れない劇作家のレッシンクをハノーファー国立図書館長に押し込んだのも彼だし、選帝(クア)侯マインツ大司教領飛び地エアフルト市の哲学教授で作家のヴィーラントをワイマール公国の若きカールアウグスト公の家庭教師に推薦したのも、彼。四七歳になってもいまだ無給私講師として不遇をかこっていたプロシアのケーニヒスベルク大学のカントを見出してきてワイマール公国のイェナ大学に招こうとしたのも彼なんだ」
「あれ? カントってイェナ大学に行っていましたっけ?」
「生活を変えたくないカントは固辞して、代わりに自分の弟子で、パリ市のディドロやダランベールなどの百科全書派を訪れていた二七歳の新教説教師で文芸評論家のヘルダーを、ボーデの出張先のシュトラスブールに送った。そこで、ボーテが、二二歳のシュトラスブール大学の学生ゲーテと引き合わせた。それで、ゲーテは、すっかりヘルダーの敬(けい)虔(けん)主義的な信仰と百科全書的な知識と、それらを凌駕する疾風怒濤の情熱に染まった」
「それで、その三年後にゲーテは『若きウェルテルの悩み』を書くことになったというわけですね」
「ボーデは、クニッゲ男爵という青年も世話をしている。ハノーファー選帝(クア)公国のハノーファー市近くの没落貴族で、かろうじてハノーファー選帝(クア)公国のゲッティンゲン大学を出て、カッセル方(ラント)伯フリードリッヒ二世のところで拾ってもらっていたんだが、こいつは、「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」の新統帥ブラウンシュヴァイク侯の子分だ」
「チューリンゲン(中部丘地)やヘッセンの若者たちを騙して、傭兵奴隷として大ブリテンに売り飛ばしていたやつですね」
「クニッゲは、独立戦争開戦当時二三歳で、同年代の同胞の青年たちの命をカネに換えて大儲けするカッセル方(ラント)伯やブラウンシュヴァイク侯が気に入らなかった。それで、この問題をボーテに相談し、ゲーテ同様、ワイマール公カールアウグストのところに転がり込んだ」
「それで、ボーテやレッシンク、カント、ヴィーラント、カールアウグスト公、ゲーテ、クニッゲたちが、プロシア・大ブリテンの裏をかいて新大陸の独立を支援した?」
「そう、フランクリンをフランスに仲介したんだ」
歴史
2020.09.30
2020.10.30
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2021.01.12
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2021.05.25
2021.08.20
2021.08.20
2021.09.09
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。