​フリーメイソンとフランス革命を巡る会話:フランクリン・ゲーテ・ナポレオン

2021.03.22

開発秘話

​フリーメイソンとフランス革命を巡る会話:フランクリン・ゲーテ・ナポレオン

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ブラウンシュヴァイク侯は、フント男爵のドイツ人大移民団を米国独立弾圧の傭兵軍に変え、ロスチャイルド家を通じてその利益を仏大オリエント社のエジプト十字軍に投資。しかし、その大統領オルレアン平等公は武装市民革命を企て、マインツ独立の失敗、ロベスピエールの独裁、ナポレオンのクーデタと、メイソンリーは迷走していく。/

「で、肝心のエジプトの財宝って見つかったんですか?」

「さあ……。七月にエジプトに着いて、現地のマムルーク政権を倒したものの、八月一日にはアレキサンドリア市沖のアブキール湾にネルソン提督の大ブリテン艦隊がやってきて、海戦で大敗。ナポレオンは、エジプトで孤立。その間に北イタリアもオーストリアに取り返され、経済の混乱もさらに悪化。そんな情勢で、ナポレオンは、単身でエジプトを抜け出し、九九年十一月、パリ市に戻って、クーデタを起こし、腐敗政治の元凶で抜擢人事の恩人のバラスを追放し、自分が第一執政(コンスル)になってしまった。で、一八〇〇年一月、彼が最初にやったのが、フランス銀行の創設。金銀複本位制で、アシニャ(割当)紙幣は廃止、旧政府の負債もまるまる踏み倒した」

「持っていたカネが、文字通り紙クズになるなんて、腐敗した政治家や御用商人にとっては散弾大砲の水平打ち以上の破壊力だっただろうな」

「だけど、この時点では、紙幣を廃止できるほどの量の、現物の金銀があった、っていうことですよね」

「やっぱりエジプトの財宝か?」

「まあまあ、それは後で。このころ、北イタリアは、またオーストリア・ロシアの連合軍に荒らされていた。そこで、五月、例のナポレオンのアルプス越えの奇襲だ」

「ダヴィッドが翌〇一年に描いた白馬に乗った英雄だな」

「でも、しょぼくれたナポレオンが雪道をロバに乗って行く絵もありますよ」

「あれは、ドラローシュが半世紀も後に、英国人に売るために描いたもので、最初から悪意に満ちたカリカチュア(戯画)だよ。実際は、雪の消える五月に、先発工兵隊を送り込んで道を整備し、一気呵成に馬と大砲で駆け抜けた。だから、奇襲なんだ。で、六月十四日夕刻、ナポレオンの援軍によって、ミラノ市とトリノ市、ジェノヴァ市の中央のマレンゴで逆転圧勝。七月には、政教和約(コンコルダート)で、没収財産を弁償しない条件でカトリック教会を承認した。また、十二月には、モロー将軍がミュンヘン市の先まで攻め込んで、翌一八〇二年二月、オーストリアとのリュネヴィルの和約で、北イタリアやライン左岸(西側)のフランス領有が確立。三月、大ブリテンとのアミアンの和約で、大ブリテンはマルタ島やエジプトから撤収、フランスはナポリやローマ教皇領から撤収。この二つの和約で対外関係を安定させ、八月、終身執政になる」

「選挙無しの終身身分なんだから、この時点で彼は事実上の王になったということだよな」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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