/ブラウンシュヴァイク侯は、フント男爵のドイツ人大移民団を米国独立弾圧の傭兵軍に変え、ロスチャイルド家を通じてその利益を仏大オリエント社のエジプト十字軍に投資。しかし、その大統領オルレアン平等公は武装市民革命を企て、マインツ独立の失敗、ロベスピエールの独裁、ナポレオンのクーデタと、メイソンリーは迷走していく。/
米国独立戦争:フランクリンvsブラウンシュヴァイク侯
「ほら、新大陸のベンジャミン・フランクリンも、凧で天空から電力を取り出しただろ」
「フィラデルフィア市の新聞編集人ベンジャミン・フランクリンなんて、典型的なメイソンだったからな。彼こそが、おそらくフント男爵の計画していたドイツ人大移民団の受け入れ窓口だっただろうね。六五年にスタンプ税問題が起きると、翌年からすぐにドイツやフランス、大ブリテンを訪れ、解決に奔走している。同時に、国境争いだらけの植民地諸州の間の郵便通信網を整え、新大陸新王国の準備を進めている」
「彼も、カトリック・ジャコバイト(ジェームズ派)だったんですか?」
「いや、マサチューセッツ州ボストン市の家の生まれだから、もともとは清教徒(ピューリタン)だろうが、わざわざフィラデルフィア市に移り住んでいるところを見ると、宗教的にはもっとリベラルだったんだろうな」
「そんな人が、カトリック・ジャコバイト(ジェームズ派)の新王国を準備していたんですか?」
「ジャコバイト(ジェームズ派)王のチャールズ三世も、一七七五年には五五歳で、子供がいなかった。かろうじて弟がいたが、ローマ大聖堂首席司祭枢機卿だった」
「つまり、もはや断絶確実ということですね」
「それなら、フランクリンは、誰を王に呼んでくるつもりだったんでしょう?」
「いや、モンテスキューが提唱した、王のいない共和政体だろうね」
「ああ、『法の精神』は一七四八年でしたっけ」
「それまでにも、ヴェネチア島やフランクフルト市などに特権的都市貴族たちによる共和国はあったんだが、モンテスキュー男爵は、古代ローマを研究しているうちに、紀元前四世紀からカエサルが出てくるまでの連邦共和制ことが最強だと考えるようになった。彼は五五年に亡くなったが、その理想を引き継いだのが、フランクリンだよ」
「そのうえ、たんなる理想ではなく、その実現のチャンスを目の前にしていたんだな」
「とはいえ、一七七五年四月に独立戦争が始まるころは、フランクリンは、もう六九歳で、新大陸メイソンでも最長老の一人だった。おまけに、独立戦争を始めたのが、宗教的寛容性のかけらもない狂信的潔癖主義のマサチューセッツ州の清教徒(ピューリタン)たちだったものだから、ニューヨーク州やニュージャージー州、フィラデルフィア州などの新王国の中核となるはずだった東岸中部諸州は、むしろ大ブリテン側についたんだ」
歴史
2020.09.30
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2021.08.20
2021.08.20
2021.09.09
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。