神の国:アウグスティヌスと教皇・総主教

2020.11.18

開発秘話

神の国:アウグスティヌスと教皇・総主教

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ゲルマン人にローマ帝国が分断され荒廃させられる事態に、対岸の北アフリカにいたアウグスティヌスは、自由を貪る人間の原罪が生み出す「地の国」に対し、神の使命に向き帰る「神の国」を論じた。そして、弱体化する帝政に代わって、ローマ教皇の西方教会とコンスタンティノープル総主教の東方教会が両地域を差配するようになっていく。/

J それにしても、四世紀末、キリスト教会がローマ帝国を乗っ取っちゃったんですよね。

でも、甘くはありませんよ。匈奴、つまり、フン族が中央アジアで勢力を拡大し、東欧のゲルマン人たちを圧迫したため、375年には、ダキア地方、現ルーマニアからゲルマン人ゴート族がローマ帝国領内へ難民として流入。その扱いがひどかったため、378年には、反乱を起こして東正帝を殺害。ローマ帝国は、反撃しようにも、傭兵がゲルマン人だらけだから、どうにもならない。それで、テオドシウス帝(位379~95)は、退役兵や地元民を召集して対抗しますが、最終的にはゴート族を同盟と認めてバルカン半島を割譲。それで、ローマ帝国は完全に中央に遮断されてしまいます。

J 分割統治ではなく、完全に分断された領域になってしまったわけですか。

こんな時代、北アフリカ、チュニジア、カルタゴ市の優秀なラテン語弁論術教師アウグスティヌス(354~430)は、383年、ローマ市に出、さらに新興のミラノ市に迎えられますが、次から次へひっきりなしに女たちと関係を持たずにいられない、という、とにかく病的な性交依存症で、生活も破綻寸前。

ところが、387年、33歳のとき、「取りて読め」(トッレ・レゲー)という声を聞いて、たまたま近くにあった本を開くと、ちょうどそこに「肉欲を棄てよ」と書いてある。その本は、聖書。驚いて彼は、ミラノ市の強権的な司教アンブロジウスの下でキリスト教に入信。37歳、391年には北アフリカに戻り、カルタゴ市の西、150キロほどのアルジェリア、アンナバ市で司教になりました。

J ああ、ちょうどこのころ、ヒエロニムスが聖書のラテン語訳を進めていましたよね。

しかし、この後、ゴート族はバルカン半島からイタリア半島にも進撃。西ローマ皇帝は、首都ミラノ市を棄て、402年、いつでも海へ逃げられるアドリア海沿岸の湿地ラヴェンナ市へ避難。それを無視して、ゴート族は410年、ローマ略奪。もっとも、彼らは、この後、さらに西へ行って、415年、南フランスからイベリア半島の地中海側に西ゴート王国を建てる。

J 直接に巻き込まれたわけでないまでも、地中海対岸の騒乱は、アウグスティヌスにも、この世の終わりと思われたでしょうね。

でも、北アフリカ出のアウグスティヌスは、それまでの思想家や聖職者と違って、ヘレニズムの伝統に染まっておらず、新たなラテン文化の思想家、聖職者として、この激変を、文字通り対岸の火事として距離をおいて客観的に咀嚼する余裕がありました。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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