神の国:アウグスティヌスと教皇・総主教

2020.11.18

開発秘話

神の国:アウグスティヌスと教皇・総主教

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ゲルマン人にローマ帝国が分断され荒廃させられる事態に、対岸の北アフリカにいたアウグスティヌスは、自由を貪る人間の原罪が生み出す「地の国」に対し、神の使命に向き帰る「神の国」を論じた。そして、弱体化する帝政に代わって、ローマ教皇の西方教会とコンスタンティノープル総主教の東方教会が両地域を差配するようになっていく。/

当時、この災厄は、伝統の神々を棄てさせたキリスト教のせいだ、と言われました。実際、ローマ略奪を行ったゴート族は、アリウス派ながら、たしかにキリスト教徒だったのです。これに対し、アウグスティヌスは、まずキリスト教の弁明、護教論から始める必要がありました。

ヘレニズム、とくにグノーティシズムやマニ教からすれば、世界は善悪の対立で説明されます。しかし、キリスト教では、絶対的な唯一神の下、悪や災厄を悪魔のせいにすることができません。このため、悪は、たんなる善の欠如や不足、それも、最終的な善の完成に至るまでの間の一時的なものにすぎない、というような、逃げの神義論が考え出されてきました。これに対し、アウグスティヌスは、神は悪を創らず、という大原則を守りつつ、人が悪を生む、それこそが人間の原罪だ、として、悪の根拠を積極的に提起します。

J だけど、その人間を創ったのは神でしょ。となると、やっぱり神が悪を創ったことにならないですか?

アウグスティヌスが問題にするのは、人間の自由です。神は、人間を神の似姿とし、神と同様の自由を与えた。そして、本来であれば、人間は、神と同様の節度で、その自由を楽しむべきだった。ところが、人間は、神を忘れて知恵の実を食べ、神が世界に与えた摂理の全貌も知らぬまま、度を超して自己判断で自由を貪り、悪や災厄を生み出すようになった。これこそが、人間存在の根本的な原罪だ、と言う。

彼による人間の悪の説明で重要なのは、それが、魂が善、肉体が悪、というような対立図式ではない、ということです。本来、魂が善であれば、肉体も善になりうる。ところが、自由を貪る魂の悪のせいで、肉体まで悪に陥っている。つまり、その悪の罪は、肉体ではなく、むしろ魂の問題であり、それに対する罰は、肉体の死ではなく、魂そのものの永遠の死が当然、ということになります。

J 罪を憎んで人を憎まず、じゃなくて、まさに人が罪を犯したのだから、その肉体ではなく、その人の魂こそが精神的に罰せられるべきだ、ということか。

いや、むしろ、人の魂のほうに罪があるだけで、自由を貪る悪しき魂に振り回されしまった肉体には罪はない。そして、強姦によろうと、不倫によろうと、生まれた子どもは健全。ただ、アウグスティヌスによれば、人間は、その魂からして社会的であり、したがって、自由を貪る魂の悪も社会全体で引き継がれる、とされます。

J まあ、すさんだ人々の中で生まれ育てば、すさんだ性格になる、というのは、なんとなくわかりますけれど。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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