/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
09.01.01. ティベリウス帝とカリグラ帝(14~41)
なにがどうなったのかわかりませんが、金曜に処刑されたイエスの墓が、三日目の日曜の朝、空になっていた。おまけに、あのイエスに会った、なんていう人も出てくる。それで、いろいろなウワサが飛び交い、イェルサレムはもちろん、あちこちの町のあちこちの家に人々が集まり、ああだこうだと語るようになりました。
J それ、きっとすごく怖かったんでしょ。みんな、ウソの告発をしたり、処刑を煽ったり、そうでなくても、見捨てて自分だけ逃げたり、いろいろ後ろめたいところがあったみたいですから。
イエスの側近だった使徒たちも、イエスを見捨てて自分たちだけが逃げた罪、さらには、ユダヤ人が律法を守らなかったからこんなことになったという罪の意識に苛まれ、彼らは神殿参拝を欠かさない、驚くほど模範的なユダヤ人になります。その一方、生き返ったイエスがローマを倒すだのなんだの、さまざまな政治的、宗教的な集団も。そうでなくとも、この時代、諸国の文化が入り交じって、政治や宗教を語る多種多様な連中がローマ帝国中に湧いて出てきていました。
国際都市イェルサレムの使徒派においても、他の都市から来たギリシア語ユダヤ人たちが増え、ユダヤ語使徒たちがイエスより神殿を重視している姿勢を批判。ユダヤ州の実質的な自治を任されていた祭司団は、36年、そのギリシア語使徒派代表のステファノスを石打で処刑。同じギリシア語ユダヤ人で、ローマ市民権も持つ律法学生のパウロに、彼らの迫害を命じます。
J ローマ市民権を持ちながら、わざわざ律法を研究するなんて、バリバリのユダヤ保守派だったんでしょうね。
ところが、このパウロも、イエスに会ったとか言い出して、回心。イエスが救世主、キリストである、その処刑によって我々の罪は贖われ、我々は救われた、もはやイエスにすがるのに割礼や律法に縛られたユダヤ人である必要すら無い、と言って、ユダヤ人以外にも積極的に布教して歩くようになってしまいます。実際、ユダヤ教の預言者たちの長い伝統を踏まえた、意図のわかりにくいイエスの言行よりも、死んで復活する神、といった方が、オリエントの農耕植物神に近く、ユダヤ人以外にはずっと理解しやすかったでしょう。
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。