/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
J あー、かえってややこしくしちゃいましたね。
とはいえ、当時のユダヤ王、アグリッパ一世(c10BC~位37AD~44)は、ヘロデ大王の孫で、カリグラらとともにローマ市で育ち、カリグラが皇帝になるとユダヤ王とされた人物でした。彼は、洗礼者ヨハネを処刑したアンティパスも39年には追放して、領土を拡大。イェルサレム神殿に皇帝を祭る問題も、どうにか彼がカリグラ帝をなだめて収めました。
09.01.02. クラディウス帝とネロ帝(41~68)
アレキサンドリア市のユダヤ人ギルドの解体は、かつてのエジプト総督の甥、官僚セネカ(c1~65)に莫大な富をもたらし、彼の立場を大きく押し上げます。しかし、カリグラ帝が41年に暗殺されると、ユダヤ王アグリッパ一世が、カリグラの叔父で脳性麻痺だったクラウディウスを帝位に擁立し、ヘロデ大王時代以上の領土を獲得。一方、セネカはコルシカ島に流されてしまいます。
J 傀儡皇帝で帝国をまた支配しようとしたんですかね。
それでまたユダヤの反ローマ運動も盛り上がってしまうんですよ。でも、それはまずい。だから、44年、ユダヤ王アグリッパ一世は、見せしめにイエスの残党、使徒派を逮捕し、ヤコブを処刑。もっとも、同年、アグリッパ一世本人が暗殺され、ユダヤはローマの属州に戻されてしまいます。また、使徒派でも代表のペテロやヨハネらはかろうじて国外に逃亡し、代ってイエスの異母兄ヤコブが中心になります。
J あ、このとき処刑された使徒ヤコブの遺骨が、9世紀にイベリア半島の西端、サンティアゴ・デ・コンポステラで見つかったとか言って、その後、巡礼者が押しかけるようになるんですよね。
当時、クラウディウス帝が不自由なのをいいことに、その皇后と官僚たちが好き勝手にやっていましたから、いよいよ世も末だ、誰かが何かすごいことをしてくれるにちがいない、という妙な期待が高まって、自称救世主だの、自称革命家だのが帝国中に湧いて出てきていました。
救世主を待望するユダヤ人にも、使徒派のほか、パウロ派やシモン派、アポロ派など、さまざまな集団があり、48年、ともにイエス=救世主、キリストと信じるパウロ派と使徒派がイエルサレムで会議を開いて、ユダヤ教を任意として合流、ギリシア語圏とユダヤ語圏の住み分けを決定。しかし、割礼や律法のユダヤ教も絶対とする保守的な使徒派の一部は、エビオン派として分離。
J この時代、イエス以外にも、自称、他称の救世主なんて、いっぱいいたんでしょうね。パウロ派が同じイエスを救世主だと言うのなら、いっしょにやろうか、というのも、わかりますけれど、かつて自分たちを迫害した連中ですから、合流は絶対にイヤだ、という人たちが出てくるのも当然でしょうね。
歴史
2020.02.19
2020.02.29
2020.06.24
2020.08.27
2020.09.25
2020.09.30
2020.10.30
2020.11.18
2021.01.12
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。