/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
とくにこの時代、ユダヤ問題がくすぶり続けていました。属州に戻されてしまった王国を再建しようと、ユダヤ人が宮廷でさかんに政治工作を行っています。すでにユダヤ人は、ローマ市の人口の一割を越えてティヴェレ川西岸を占拠しており、それも裕福なので、大勢の奴隷たちを買い込んで、むりやり割礼して律法を強制し、ユダヤ教徒にしてしまう、なんていうこともやっています。
J え、そんなの、ありなんですか?
主人に逆らったら殺されてしまうのが、奴隷ですからね。ここまでしてユダヤ隆盛を図っているのに、ユダヤ教を否定して、ローマ市やイェルサレム市ではびこり始めたパウロ派や使徒派は、ユダヤ人にとって目障り以外のなにものでもありません。このころ、パウロは、使徒派との住み分け協定に基づき、トルコやギリシアなどのギリシア語圏を回っていましたが、イェルサレム市に戻ったところで逮捕され、ローマ市民としてローマ市に移送。使徒派の代表、異母兄ヤコブも、62年、総督交代の隙に、祭司団に殺害されしまいます。
同62年、ナポリ周辺でヴェスビオ火山の大地震があり、いよいよこの世の終わりだ、と騒ぐ人も出てきます。そんなところで、64年、ローマ大火。一週間に渡る延焼で、ローマ市内の三分の二が灰燼に帰してしまいました。ここにおいて、パウロ派や使徒派がやった、とのウワサが立てられ、天国に行けないように火炙りで処刑されました。
J ほんとうに彼らがやったんでしょうか?
さあ。ただ、彼らは、以前からローマ市を、滅びが預言された虚栄の「バビロン市」と見なしていました。また、彼らの中には、ネロ帝の通俗的な人気取りを批判する上流教養階級が少なくなく、彼らが有罪処刑となれば、とてつもない財産が没収となって、ローマ市再建資金になります。翌65年、エジプト領と巨額融資で莫大な富を蓄えていたセネカも、皇帝暗殺の嫌疑をかけられ、自殺に追い込まれています。もっとも、こんな策略をネロ帝自身が考えたとも思えませんが。
そのネロ帝は、財源など気にもせず、喜々として焼け跡に新しいローマ、黄金宮殿、ドムス・アムレアの計画を構想していきます。彼は、ローマの丘の立体的な地形を生かしつつ、火山灰コンクリートを使うことで、石造りではできないようなドーム構造などの自由な形状を持つ豪華絢爛たるパビリオン群を考えており、その中心、いまのコロシアムのところには大きな人工池と庭園が造られる予定で、30メートル以上のネロの巨大裸像もありました。
歴史
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2021.01.12
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。