/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
このころ、ローマでは、48年、皇后による皇帝暗殺計画が発覚し、処刑。翌年、クラウディウス帝は、カリグラ帝の妹アグリッピナと再婚。新皇后アグリッピナはセネカを呼び戻し、法務官に据えるとともに、自分の連れ子のネロ(37~位54~68)12歳の家庭教師を命じます。そして、54年、皇后アグリッピナはクラウディウス帝を毒殺。17歳のネロが皇帝になりますが、実際の政治は、母后アグリッピナが支配し、セネカが運営することになります。
J モラルもなにもあったもんじゃないですね。
でも、このころ、上流教養階級の多くは、心の美徳第一のストア派を信条としていたんですよ。ただ、これが心の美徳というのがミソで、それは地位や財産などには左右されない、として、逆に、セネカを典型として、世襲相続した属州搾取の地位と財産で贅沢三昧の日々を送り、奴隷たちをこき使いながら、口では、奴隷たちも人間だ、などとうそぶいていました。
J 心の中さえきれいなら、手を汚しても関係ない、というわけですか。
セネカなんか、自分を呼び戻してもらったのに、59年、ネロ帝の母后殺しに手を貸してしまいます。でも、さすがに罪の重みに耐えきれず、ネロ帝から得たものを返上して、政治から身を引いてしまいます。ほかの上流教養階級の人々でも同じようなもので、自己欺瞞の罪の意識に苛まれ、ここに、イエスが救世主として我々の罪を贖った、というパウロ派の福音の教えが入ってくると、耳を傾けずにいられなかったようです。また、彼らにこきつかわれていた奴隷たちの多くも、ギリシア語周辺国の出身で、パウロ派の救済の預言にすがりつきました。
J 家で奴隷にムチ打っていた連中が、パウロ派の秘密集会では、泣いて彼らに詫びるんですか。うわぁ、いよいよ気持ちが悪い。
一方、脳天気なネロ帝は、母后の縛りが解けて、自分はアポロンだ、とか言い出し、それまで下賎なことと思われていた歌や芝居に挑戦。上流教養階級はドン引きでしたが、ところが、これが新しい娯楽に飢えていた中下層の庶民に大ヒット。60年と64年にローマ市で「ネロ祭」を開き、ナポリ市にも公演旅行に行っています。
J でも、ネロ帝って残虐非道な人だったんでしょ?
どうなんでしょうね。悪い連中に良いように名前だけ利用されただけかも。こんなふうにネロが歌や芝居に熱中し、ローマを留守にするものだから、その隙に、思いつく限りの邪悪な妄想を盛り付けたウワサを流し、ネロ帝の命令として、かってに暗殺や処刑をやってしまうなんていうことも横行しました。
歴史
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2021.01.12
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。