/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
09.02.01. 五賢帝の二世紀(96~192)
二世紀は最大版図になって、「パクス・ロマーナ」、ローマの平和を謳歌したネルウァ帝、トラヤヌス帝、ハドリアヌス帝、アントニヌスピウス帝、マルクスアウレリウス帝、の、いわゆる五賢帝とマルクスアウレリウスの子、コンモドゥス帝の時代となります。
J 古代ローマ帝国の最盛期ですね。迫害はどうなったんですか?
前のドミティアヌス帝が暗殺されて終わりですよ。ところが、教会は、またガタガタに。当時はまだ、都市ごとに、いや、同じ都市の中でも、教会に上下関係は無く、それぞれが独立運営でしたから、教義が異なっているほうが当たり前で、教会同士が争うなんていうことも起こってきます。それで、97年にローマ教会の司教クレメンス一世がコリント市の教会の揉めごとに干渉すると、他の教会が一斉に反発しています。
そして、98年に次の皇帝になったトラヤヌス(位98~117)は、ダキア王国、現ルーマニアを完全征服し、同地の金鉱や銀鉱から莫大な財をもたらします。
J 建設・娯楽・軍隊で政治を支えるローマ年来の慢性的な財源不足が、これで一気に解消したわけですね。そりゃ、ローマ帝国も最盛期にもなるでしょうね。
107年の凱旋とともに、ローマ市ではコロシアムで連日の大剣闘大会。連れ帰った敗戦奴隷が10万人もいましたから、壮絶だったダキア戦争を観客たちの前で連中に生身で再現させるという趣向。これで1万以上の奴隷が死んだそうですが、これを見に来た観客は500万を越えたとか。
J まあ、テレビもネットもない時代だから、そのようすを伝えるのに再現というのもわからないではないですけれど、観客が500万って、それじゃローマ市の人口より多いじゃないですか。
とにかく爆発的な好景気になって、帝国中から見物観光に来たんでしょうね。でも、それだけじゃないんですよ。そのころ、ローマ市とアレクサンドリア市が人口百万、これらに次ぐのが地中海東岸北部、人口50万のアンティオキア市でした。ここは商業娯楽都市で、イェルサレムを脱出した使徒派やパウロ派の拠点でもあり、このころ、イグナティオスが司教を務めていました。その彼がこれに自分が出たいと言い出した。
J え? いくら大観客を集めたショーで宣伝になるにしても、コロシアムなんか出たら殺されちゃうでしょ。
いや、とにかく彼は殉教したいんですよ。おそらく『黙示録』のせいです。殉教したら、イエスさまといっしょに千年王国を治められる、と書いてある。それを真に受けて、わざわざローマ市に行って、コロシアムでライオンに喰われた。
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。