/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
J なんてこったい。
エビオン派は、イエスを救世主とはするものの、イエスはただの人間で、懐胎ないし洗礼で神の養子になっただけ、として、ユダヤ教の内部に留まろうとします。一方、イグナティオスは、ユダヤ教からの完全離脱、とくに土曜の安息日を止め、日曜の主日に礼拝するよう、強く勧告しています。こうして、112年、ようやくユダヤ人とは別のものとしてキリスト教徒が帝国に認識されます。
J で、どうすることにしたんですか?
わざわざ探し出すまでもないが、あくまでキリスト教徒であることを主張するなら、反国家的危険分子として死刑にする、という公安的な原則が立てられ、これがその後にも引き継がれます。
J おや、ずいぶんぬるい処置のようですけど。
とにかく厄介な連中だったんですよ。ユダヤ人のように派手な反乱テロを起こすわけでもなく、それどころか、ユダヤ人と対立していたから、ユダヤ人を抑え込むには役立つ。しかし、広大で多様な帝国内をかろうじて一つにつなぎとめている皇帝崇拝を拒絶することにおいては、ユダヤ人と同じ。とはいえ、へたに摘発すると、やたら信仰をわめき立てて大げさに殉教したがり、それが妙な宣伝になって、かえって信者を増やしてしまう。
J あー、触らぬ神に祟り無しってやつですか。
ところで、95年にローマ市を追放されたストア哲学者エピクテートスは、その後、バルカン半島西岸のニコポリス市に移って塾を開いており、ここに帝国中から多くの人々が集まります。とはいえ、それは、ギリシアの学園のように諸学を体系立てて教えるのではなく、ストア派の先人たちの著書の輪読か、はるばる彼に会いに来た人々の相談事に、彼が弟子たちの前で当意即妙にユーモアを交えて答えるというもので、124年、ハドリアヌス帝(位117~38)もわざわざ彼の下を訪れています。
しかし、彼自身の哲学は、はっきりしていました。まず、それが自分の内なる物事か、自分の外なる物事、を、明確に区別すること。そして、自分の外の物事は、どうにもできない。一方、それをどうこうしたいなどと思う気持ちは、内なる物事であり、自分次第でなんとでもできる。だから、その内なるロゴスの方を神のロゴスに合わせ、神の望みこそ我が望みである、として、神によって起こった外の物事をすべて、それこそ自分の望んだ物事だ、とすることで、自然どおりの賢者になれる、とエピクテートスは言います。
J そのロゴスって何ですか?
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。