/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
86年、皇帝本人はトルコのニコメディア市に移って東方皇帝となり、信頼できる部下のマクシミアヌスをミラノ市を中心とする西方皇帝にして共同統治。さらに92年には、それぞれがガレリウスとコンスタンティウスを副帝とし、テサロニケ市を中心とするバルカン半島とトーリア市を中心とするアルプス以北を委ね、この四分統治によって、異民族に対する辺境防衛と地域の実情に合わせた施策を可能にしました。
J なんかうまくいっているみたいですね。
そうでもないですよ。寛容策で黙認されたキリスト教が巨大化するとともに、このころ、新たにマニ教が伝わり、これが爆発的に流行します。これは、ペルシアのマニ(216~76)が、ゾロアスター教にユダヤ・キリスト教や仏教を取り込んだ、シンクレティズム、諸教混交で、善悪二元論ながら、宇宙や人間はむしろ善悪の矛盾した結合でできている、とし、いずれ両者が分離して悪から善が解放される、と考え、人間は出家禁欲によってみずから真理の道を極めるべきである、と言います。
J それ、グノーティシズムに似ていませんか?
いや、ペルシアでできただけあって、むしろヘレニズム的で反ユダヤ的なグノーシティシズムとは対抗するものです。マニはサザン朝宮廷に認められ、経典や教団も整備しましたが、伝統的なゾロアスター教神官たちに疎まれ、276年に投獄。286年には後継者や長老たちが処刑され、信者たちはローマやアラブに逃亡。虫も殺さず、酒も飲まず、光の食べ物とか言ってメロンばっかり喰っている変な連中で、反ペルシアでもあり、キリスト教とも対立しないので、ローマ帝国は当初は許容していましたが、あまりの勢いに、ディオクレティアヌス帝は、297年、これをペルシアのスパイとして迫害令を出しています。
J 勢いがあるのが問題なら、キリスト教も帝国の脅威でしょ。
ええ、巨大化したキリスト教でも、その悪い面が一気に噴き出してきます。まず、聖職者たちが権力と利権を伴う司教の地位を巡って世俗的な争いを繰り広げ、信徒たちも、もはやひるむところなく増長して、伝統的な多神教に対して上から目線の啓蒙的攻撃をするようになり、一般の人々の反発を招きます。くわえて、人間イエス養子説を説いて追放されたサモサタのパウロスの弟子筋のルキアノス(c240~312)が、アンティオキア市にディダスカレイオン学園を開き、三位一体説を採る西方合同派とまた激しく揉め始めます。
歴史
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2021.03.22
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。