/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
プラトンが考えたような幾何学的で静止的な均衡を意味する理性、ヌースと違って、ロゴスは、ヘラクレイトスの言うような、時間的で力動的な働きです。ロゴスは、ただ論理というのではなく、積極的に語り出す論証で、展開していきます。だから、神のロゴス、世界のロゴスとなると、それが自然、ピュシスであり、個々のものにとっては、分限、モイラ、ないし、運命、テュケーとなります。
それまでのローマニズム・ストア派、キケロやセネカは、激変する時代にあってなお、それに内面まで振り回されまいと頑なに抵抗し、幾何学的な永遠の理性の均衡を守ろうとして、結局は、押し潰されてしまいました。しかし、エピクテートスは、言わば、その激変する現実の方に、うまく自分を溶け込ませることで、不動心、アタラクシアを確立しようとしたのです。実際、彼は、人間を社会的存在と考え、国家や家族なども肯定し、生まれながらの障害があっても、奴隷の身分にあっても、追放の憂き目にあっても、その中でうまく人生を楽しむ賢さを持っていました。
また、キケロやセネカが、神の定めとして、できるかぎりこの世に留まり、最善を尽くしてこそ天上界での魂の永遠の幸福がある、と考えたのに対し、エピクテートスは、むしろデモクリトスの原子論を取り込んで、死はただの解体で、自分の外の物事であり、善でも悪でもない、とし、自然の必然、ロゴスに従うなら、死もまた、この世から解き放たれる自分の自由だろう、と言います。とはいえ、その言葉は、障害も、奴隷も、追放も、死が必然というほどのことではない、という彼自身の生き方の上に理解すべきでしょう。
J なんだか道教や仏教なんかとも似ていますね。
さて、アントニウスピウス帝(位138~61)の時代になると、東方政策の都合から、再びユダヤ人に対して融和政策が採られるようになります。そして、ユダヤ教の総主教を代表として、神殿税徴収権を与え戻しました。
J 皇帝とユダヤ人がヨリを戻すのって、ユダヤ人と対立することで黙認されてきたキリスト教にとって、かなりまずい状況では?
にもかかわらず、ヘレニズムの強い黒海南岸から着たマルキオン(c100~c60)は、キリスト教グノーシス派の立場でローマ市に独自の教会を主催し、改竄された独自の聖書を編纂します。彼は、イエスは怒りのユダヤ教の神とは別の、真の愛の神から派遣された霊的なもので、肉体を持つかのように見えただけである、という仮現説、ドケティスムを唱え、ユダヤ教の伝統と律法を全否定しました。
歴史
2020.02.29
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2021.01.12
2021.03.22
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。