キリスト教はローマ帝国に迫害されたか(2)

2020.09.30

開発秘話

キリスト教はローマ帝国に迫害されたか(2)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/

この新プラトン主義の一元的流出説は、ふつうにプラトンから演繹される善悪二元論のグノースティシズムを否定するものであり、三位一体を採るキリスト教主流派においても、キリスト教グノーシス派に対抗する思想として取り込まれ、神学の基本となっていきます。また、この一元的流出説は、通俗的に人気のあった当時の太陽神信仰ともなじみやすいものでした。そして、プロティノスは、ガッリエヌス帝に気に入られ、かつてプラトンが実現しようとしてできなかった哲人王国「プラトノポリス」の建設を委ねられて、ナポリ市北のミントゥルノに移り住みます。

J 同じプラトンからまったく別の、対抗する思想が出てくるなんて、不思議ですね。

それは、キリスト教でも同じですよ。このころ、パルミラ王国下のアンティオキア市司教のサモサタのパウロスは、ローマ帝国からの分離をいいことに、公私混同で信徒から搾取蓄財のしほうだい。でも、彼の熱狂的な説教によって、排他的で束縛的なカルト集団と化します。おまけに、イエスは人間で、神の養子になっただけ、という古いエビオン派の考えをまた持ち出したものだから、同地の司教たち七、八十人が集まって、アンティオケア教会会議(264~68)を開き、西方合同派の使徒信条に基づいて、サモサタのパウロスを破門。ところが、サモサタのパウロスは、この手続に異議を申し立て、王国の保護によって、かえって勢力を増す始末。

J でも、地中海東岸のアンティオキア市あたりだと、エビオン派の方がずっと本命で、それからユダヤ教色を抜いても、教会文章を寄せ集めてできた西方合同派の使徒信条より説得力があったんじゃないかなぁ。

ガッリエヌス帝を暗殺したアウレリアヌス帝(270~75)は、「世界の修復者」として、ガリア帝国とパルミラ王国を征服して回復、防衛のためローマ市城壁の建設を始め、太陽神信仰で軍人たちを収攬します。そして、アンティオケア市教会の分裂問題に対しては、西方合同派のイタリア司教団に諮問し、司教、サモサタのパウロスの私財を没収。しかし、その一派を、潰すことまではできませんでした。

J そりゃ、西方合同派に諮問すれば、エビオン派の残党みたいなのは、当然、異端だったでしょうね。


09.02.04. ディオクレティアヌス・コンスタンティヌス・テオドシウスの四世紀(284~390)

284年、ディオクレティアヌス帝(位284~305)がペルシア遠征軍に擁立されますが、妻や娘、彼女たちの使用人たちがもとよりみなキリスト教にどっぷり染まっており、いよいよキリスト教がローマ中で隆盛し、巨大な権力と利権を握って、各地に大規模な教会聖堂が建てられていきます。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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