/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
J おや、寛容が信条のストア派だったんじゃないんですか?
すでに帝国の歯車が衰退へ逆回転を始めていましたから、それをくい止めるべく、踏みとどまる必要があり、同じストア派でも、エピクテートスのように、時代に溶け込んで、やり過ごす、というわけにはいかなかったんでしょう。くわえて、ストア派はあくまで自己責任主義ですから、キリスト教のように、すべて神に委ねる、などというのは、自己責任の放棄に思えて、絶対に相容れなかったでしょう。
J つまり、流動的展開のロゴスではなく、すでに完成した帝国という静止的均衡のイデアを守ることが、皇帝としての自分の使命と考えたのかな。
でも、彼が遠征に出た後のローマ市は、もっとひどいことに。じつは、軍隊がパルティアからやたら感染力の強い疫病、おそらく天然痘を持ち帰ってしまい、それから15年間も猛威を振るい続け、ローマの人口の25%を失うことになります。くわえて、軍隊は、ミトラ教という奇妙な秘密結社の宗教を持ち帰り、これが疫病の中、爆発的に信者を集めたのです。
J 何です、そのミトラ教って?
ペルシアというと、砂や塩の悪神と戦う清浄な火の善神アフラマズダーを崇拝する二元論的なゾロアスター教が中心ですが、アーリア人の契約の神ミトラを崇拝する一神教も古くからありました。
J 契約の神? ユダヤと同じ神ですかね?
よくわかりませんが、これが、その後、ペルシアの高度な天文学、占星術を取り込んで、太陽神となり、万人の監視者とされ、これを信奉する人々が契約の秘密結社を作っていきます。ミトラ神は、岩から生まれ、冬の象徴である牡牛を屠ることで再生する、とされ、その結社では、厳格な階層があり、真っ暗な洞窟の中で、牡牛の血を浴びるなどの儀式が行われたようです。そして、それがローマに入り込むと、あちこちに洞窟のミトラ神殿が作られ、表だって布教もしないのに、下級兵士など、多くの男たちを集めるようになります。マルクスアウレリウス帝の子、コンモドゥス帝(位80~92)も、信者の一人です。
J そんな結社、入ってどうするんですか?
とにかく、策謀と暗殺だらけの時代でしたからね。軍隊や政界では、いつ仲間に背後から襲われるか、わかったものではありません。だから、この混沌の中で未来を占星術でいろいろ教えてもらえる、というのは、この宗教の大きな魅力でした。くわえて、万人を監視する太陽神を信奉し、血の契約で裏切を絶対に許さない裏の組織にも入って、身の安全を確かなものにしておこう、と考えるのも当然だったでしょう。
歴史
2020.02.29
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2021.03.22
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。