/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
J ややこしいことをわめき散らさず、静かに神さまをお祈りだけしているキリスト教徒のほうが、皇帝にとって都合がよかったということですね。
217年、カラカラ帝が暗殺されると、その子という名目で、シリア人トランスジェンダーのエラガバルス帝(位218~22)14歳が即位し、シリアの太陽神を国教にしようとします。また、同じころ、ローマ教会では、ウィクトル一世の子分で盗人上がりのカリストゥス一世(位217~22)が司教となったため、厳格なヒッポリュトス(位217~35)が対立ローマ司教に立てられ、カリストゥス一世だけでなく、モナルキア派のサベリウスを激しく批判。カリストゥス一世は、ヒッポリュトスとサベリウスの両方を破門。しかし、それぞれの教会は独立なので、争いは続きます。
J 三つ巴ですか。隣人愛はどこにいったんでしょう。
軍部の反乱が相次いで、エラガバルス帝も暗殺され、代って、その従弟のアレクサンデル帝(位222~35)が13歳で即位。彼は、ローマ皇帝には珍しい常識人で、国の乱れを整えようとし、キリスト教も宮廷で手厚く信奉されました。その母ママエアは、アンティオキア市を訪れた際、わざわざアレクサンドリア市のオリゲネスを呼び出して会い、ローマ対立司教ヒッポリュトスとも親しく交流しています。一方、盗人上がりのローマ司教、カリストゥス一世は、井戸に投げ込んで殉教させたとか。
この後、226年にササン朝ペルシアができ、アレクサンデル帝は、これをどうにか撃退するも、234年にはゲルマン人も南下。その最前線にいた軍人マクシミヌスが皇帝を名乗り、アレクサンデル帝を殺害してしまいます。
J だんだんきな臭くなってきましたね。
09.02.03. 軍人皇帝たちの三世紀(235~284)
この後、皇帝が健在であるにもかかわらず、親衛隊や、ドナウ・ライン、東方、北アフリカの属州軍がかってに総督を「皇帝」に擁立し、これを元老院が承認して内乱を助長することが繰り返されます。これが反乱として鎮圧されるか、前皇帝が殺されて新皇帝に変わるか。ときにはわずか数十日で、次の皇帝に代わるということも。
J 世襲でも養子でもなければ、皇帝である根拠は武力だけですからね。
新たな軍人マクシミヌス帝(位235~38)は、セウィルス朝残党を一掃。これにはキリスト教徒も多く含まれ、ローマ司教ポンティアヌス(位230~35)も、対立ローマ司教ヒッポリュトスも、ともにサルディニア島の鉱山へ流されて死亡。戦争好きの彼は、強引な軍資金調達で北アフリカの反乱を招き、親衛隊に暗殺されてしまいます。
歴史
2020.02.29
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2020.11.18
2021.01.12
2021.03.22
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。