地方Fラン大学vs都会三流大学

2026.07.09

ライフ・ソーシャル

地方Fラン大学vs都会三流大学

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/定員割れの地方Fランなんか潰せ! とまあ、短絡的な人たちが大声で喚く。だが、そこそこの大学を出て、会社に入って、結婚して、家を建てて、というような、「人並み」「量産型」の人生設計には、もはや現実味も実現性も無い。先々、なにをしたいのかを見据えて、大学で何を学ばなければならないのか、逆算して考えることが若者たちに求められている。そして、そのとき、選択肢として、地方の地元に大学があることの方が必要な施策ではないのだろうか。/

 少子化なのに大学が多すぎる、補助金のムダ、定員割れの地方Fランなんか潰せ! とまあ、短絡的な人たちが大声で喚く。だが、それは、いまの大学の実情を知らなすぎる。だから、あえて戯画的に、前者上げ、後者下げの数々のポイントを、かなり強調して書き出してみよう。

 Fラン大学というのは、フリーランク、つまり、定員割れしていて、受ければ、だれでも受かるような大学のこと。偏差値で言うと、35、などという、すごい数字になる。じゃあ、バカなのか、というと、これが大違い。かれらは、ただ受験のテクニカルな勉強や競争をやってきていない、というだけ。こういう大学の多くは、衰退地方都市にあって、たしかに町に勤め先は少なく、若者が流出している。ところが、農業や漁業、建設建築業、地元の特産品の製造業や販売業を営む家の息子たちや娘たちは、親家族も家業を継ぐことを望んでおり、都会で遊び暮らすより、勉強しながら仕事を手伝って学ぶことを求めている。だから、高校の運動部や文化部で、卒業直前まで友人たちとのんびりのびのび楽しく過ごし、受験もへったくれも無く、地元の「Fラン」大学に入ってくる。

 かれらは、たしかにいまのトレンド、都会でのハヤリには疎い。だが、親元にいて、生活面でのしつけも行き届いており、性格もまじめで素直。なかなかの地頭で、大学で外の世界の話を聞けば、喜んでどんどん吸収する。おまけに、家の仕事もよくわかっているから、学んだことをすぐに実際と結びつけて、自分が家業を継いだら、ああしたい、こうしたい、と、夢も大きい。大学生活でも、同じ地方の他の家業の友だちと多くつながり、それがその後の仕事に活きる。

 もちろん、たまに都会の受験競争から「ドロップアウト」してきたような学生もいるが、たがいの顔がきちんと見えるアットホームなゼミで、地元学生たちに受け入れられて、じゃあ、うちに来ないか、ということで、そのまま友人の家業に「就職」したり、親たちの支援を受けて協力して企業したりする。地方の経済状況は、けっして良くはないものの、いまの時代、ネットを駆使して全国通販すれば、むしろ「自然豊かな地方」であることがプラスに働く。また、学生時代はもちろん、卒業してからも、教授の研究室は開かれており、後輩のゼミ生たちとお茶を飲みながら語り合い、また、教授がゼミ生たちを連れて来て、見学実習がてら農場や店舗を手伝う、ということもしばしば。まさに、地方、という感じの濃厚な人づきあい。

 一方、都会の三流マスプロ有名大学。団塊世代とともに巨大化して数万人の規模を誇る。偏差値でいうと、50前後、つまり受験生として平均くらい。だが、ここには大きなインチキがある。全国に系列高校を張り巡らし、落第生もなければ、だれでも進学できる。つまり、事実上のフリーランクだ。これで定員の過半を埋め、さらに、「特別選抜(AO入試)」として、小論文や面接だけで、これまた、だれでもフリー合格。これでも定員に足りない分を、センター入試で平均点(偏差値50)以上だったなら、みんな合格。そして、若干名しか採らない一般入試で、トップクラス以外を振り落とし、公称偏差値を強引に50以上に釣り上げる。しかし、実際の中の学生のレベルは、地方Fランと大差無い。

 そのうえ、入ってからがたいへん。大学の規模が大きすぎて、もはや学生を捌ききれない。希望講義も抽選制。だから、三年になっても、どこのゼミにも入れないこともある。教室は「猿山」と揶揄されるような学級崩壊状態。スマホひとつの手ぶらでやってきて、出席を登録したら、半分くらいが教室から出て行ってしまう。残った学生も、おやつを食べながら、後の方でゲームや雑談。それで、まじめな学生ほど、ばかばかしくなり、一月もすると、もう大学には行かず、都会でバイトと遊びに明け暮れる。

 そもそも教員も、帝大定年の天下りロートルか、喰い詰めた貧乏非常勤か。学生が教室で騒ごうと帰ろうと、見て見ぬフリ。怒ったりしたら、パワハラだ、とか、アンケートに書かれて、自分の方が追い出されてしまうからだ。学生数、講義数が多すぎて、個々の学生のことなんか、だれひとり覚えていない。レポートでも、試験でも、採点するだけで、週末も深夜まで自宅残業。そのうえ、カリキュラム変更だの、シラバス策定だの、非常勤探しだのと学内業務に加え、入試宣伝のための高校出張講義やオープンキャンパス、個別学生相談、等々。だから、やたら教員数が多いのに、それに比して、研究論文の数はひどく少ない。

 ほんとうは、昨今、文科省から、学生の出席回数も厳格にチェックしなさい、というお達しが出ている。だが、こういう大学でその基準を本気で守ろうとすると、大半の学生が単位を落としてしまう。それに、そんなことをしたら、大金を出しているモンペがマスコミまで煽って叩く。そうなれば、大学も事なかれ主義で、これまた教員の方を追い出すだけ。だから、wikiだかAIだかわからないが、とにかく紙がプリントアウトの文字で埋まっているレポートを「出席」の代わりとして認める。いや、実情をはっきりさせないように、そもそも出席もとらない。そして、みんな、めでたく卒業。

 しかし、就職だ。表向きは少子化の人手不足で、三流だろうと、いちおうは有名大学ということで、とりあえず、あちこちで内定はもらえる。が、いまの経済状態、おまけにAIで、「大卒」に見合うようなホワイトカラーの仕事なんか、どんどん減ってきている。それで、研修で、いきなり営業だの、工場だの、地方だのに廻されると、都会の「大卒」としてのプライドに合わず、数ヶ月で辞めてしまう。転職するからいいさ、なんて、粋がってみても、次の仕事もまた、すぐ辞めるだけ。地方と違って都会は仕事がある、というのは、まちがいではないが、わざわざ「大卒」がやるほどの仕事は、地方ほどにも都会には無い。そのうえ、へたに学生時代に奨学金をもらっていたりすると、その返済で経済的にも追い詰められる。おまけに、マスプロ大学だったから、友人関係も薄く、恩師もおらず、すぐに完全孤立。こうして、メンタルにも病んで、いよいよどうにもならなくなる。

 世に言う一流大学、二流大学にも、いろいろ問題はあるのだが、総じて、地方Fラン無名大学より、時代錯誤の都会の半端な三流マスプロ有名大学のほうが、学生の教育としてはもちろん、社会的にも、時間とカネの巨大なムダ、それどころか、むしろ害悪ではないか。ただなんとなく、そこそこの大学を出て、会社に入って、結婚して、家を建てて、というような、「人並み」「量産型」の人生設計には、もはや現実味も実現性も無い。そもそも、勉学が好きでも無いのに、いやいや大学に行ったって、知識もなにも身につくわけがなく、それどころか、都会の悪習に染まって堕落するだけ。

 勉強が褒められる時代なんか、とっくに終わった。人にはそれぞれ向き、不向きがある。先々、なにをしたいのか、どこでどう生きたいのか、を見据えて、そもそも大学に行く必要があるのか、大学に行くなら、そこで何を学ばなければならないのか、逆算して考えることが若者たち一人一人に求められている。そして、そのとき、若者の選択肢として、地方の地元に大学があることの方が、日本という国が未来に存続するためには必要な施策ではないのだろうか。

純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、東京大学卒(インター&文学部哲学科)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元東海大学総合経営学部准教授、元テレビ朝日報道局ブレーン。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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