/ちかごろ、なんでも、有名か、売れているか、で、ものごとを判断する下衆の輩がいるが、ほんとうにいいものは、数はできない。どのみち、その価値は、目利きにしかわからない。/
昔、父に連れられて、鎌倉などの工芸職人さんたちのところに、よく遊びに行った。父が民芸品の研究もやっていたので、仕事のあいまの伝統と革新の茶飲み談義をいっしょに聞かせてもらった。
やたら饒舌な山下なんとかが「アルチザン」なんて自称していたが、無口な工芸職人は、そういうポップカルチャーとは対極的だ。なにしろ絶対的な一点物。本人だって、これ、というような納得できるモノなんか二度とできない。量産できないんだから、世間のひとたちに宣伝なんかしたって、なんの意味も無い。
とはいえ、グチもよく聞いた。結局、出口が抑えられている。その一点があまりに高額になってしまうので、お茶やお華、踊りの師匠筋、もしくは大手専門ギャラリー経由で、個人財閥のような御大尽に引き取ってもらうしかない。つまり、だれにも知られないまま、いわばまさに宝物として、どこかの美術品倉庫に箱のまま眠ることになる。国際オークションにかけられる水準のものは、いよいよ持ち主を知られたくないので、ホテルや博物館などにさえ出てくることはない。
展覧会に並ぶのは、彼らの中ではまだ無名気鋭の「若手」の作品だけ。しかし、それでも、中堅だろうと、大御所だろうと、毎日が精進。たしかに名はカネになるが、腕は作品に出る。口先のはったり、業界のなれあいなど通用しない。すこしでも怠ければ、モノが濁る。ひとにバレなくても、自分ではわかる。どこにも出ないもの、でも、どこかに残って、後世の同業の工芸職人が目にするかもしれないもの。実際、恐ろしいほど手の込んだ世界の工芸品が、数千年を経て、ふらっと表に出て来て、我々を圧倒する。
ちかごろ、なんでも、有名か、売れているか、で、ものごとを判断する下衆の輩がいるが、ほんとうにいいものは、数はできない。どのみち、その価値は、目利きにしかわからない。これがそれだったのか、よし、もう一度! ツァラトゥストラのように孤独で終わりのない道。
例年より少し早いが、今年も伝統工芸展が始まった。この一年、世間が、暑い、寒い、不況だ、物価高だ、と騒いでいる合間にも、締め切った無風無塵の部屋に籠もって、それどころか、数百度の炉の前で、腕を磨いた「若手」工芸職人たちの、自分との戦いの成果。そこに優劣をつけても仕方ないのだろうが、かように孤独な業界で、大きな賞は励みになるだろう。自分も自分に負けていられない。
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、東京大学卒(インター&文学部哲学科)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元東海大学総合経営学部准教授、元テレビ朝日報道局ブレーン。
解説
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2025.09.08
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
