企業風土から見るフジテレビの落日

2025.01.23

経営・マネジメント

企業風土から見るフジテレビの落日

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/社内は、縁故採用の「上級」社員と、有名大学から一般採用した「下僕」社員がいて、後者は、上司上級社員に取り入り、下請やAD、社内アナを含むB級タレントを「奴隷」としていじめて憂さ晴らししていた、というような話も。だから、現場のドロドロは、上級社員は、ほんとうに知らなかったのではないか。/

フジテレビ問題は、ようするに肉弾営業や閨閥戦略があったかどうかの話だろう。だが、それは、企業風土として、かなり根深い。


フジサンケイの三悪人

とはいえ、その出自は、いまとはかなり違う。産経新聞は、戦前の大阪の日本工業新聞に始まり、戦後の公職追放を経て、産業経済新聞となり、民間旅客機会社(後にJALと統合する日本エアシステム)を創設し、国鉄スワローズを支援するほどの勢い。また、ヤクルトは、戦前の福岡の乳酸菌飲料メーカー。これが飛躍したのは、生命保険や険宝くじ売場と同様、戦後、多くの戦争寡婦(男性不足による独身女性を含む)を自営販売員に採用したこと。これは、彼女たちの生活を支えるとともに、事業所巡りを通じて新たな出会いの機会を提供してきた。

これがおかしくなるのは、戦後の三悪人。南喜一(1893-1970)と水野成夫(1899-1972)は、戦前、バリバリの共産党員だったにもかかわらず、転向し、戦時中の物資不足に乗じて古紙再生会社を興し、戦後も続く物資不足の中でさらに成長。また、戦前から陸軍軍需監督官(慰安所を含む?)としてつながりのあった鹿内信隆(1911-90)が、戦後にできた経済同友会に参画すると、南と水野も労働運動潰しで活躍。鹿内がニッポン放送、水野が文化放送を起し、二人でフジテレビを創る。また、このころ、急拡大の債務超過で経営危機に陥った産経新聞に水野が社長となり、同様に全国展開をめぐって内紛を生じていたヤクルトの会長に南が乗っかって、産経新聞社から国鉄スワローズを引き取る。つまり、現在のフジサンケイグループは、戦後の反共政策をバックにしたこの三人の事実上の乗っ取りに始まる。

鹿内は、郵政大臣の田中角栄(1918ー93)に接近し、全国新聞社とテレビ局の系列化を推し進めたことで、全国ネットを確立。しかし、70年安保の嵐も過ぎ去ると、反共も存在意義を失う。気づけば、サンケイグループは、傘下のどの会社もそれほど冴えない。そこで、1971年、田中の子分で参院選に落ちた元郵政官僚、浅野賢澄(1916ー97)の天下りを迎え入れ、後発の強みを生かし、番組の全国カラー化を推進。赤と緑のキャラクターをメインとする『ひらけ!ポンキッキ』は、その象徴。これを支えたのが、テレビと同じビジネスモデルの「サンケイリビング」。地元中小店をスポンサーとするこのローカルフリーペーパーは、ヤクルトスタイルで営業・配布された。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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