芸術は美徳を養うか②:日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

2024.08.26

ライフ・ソーシャル

芸術は美徳を養うか②:日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/美徳は、時と場によって違い、また、状況とともに変化していき、そもそも当事者の立場によっても異なる。したがって、それは、創造力を求める。しかし、それは、いわゆる芸術作品を鑑賞したり、創作したりすれば、できるようになる、などということはない。教える者もともに遊び、労作に励んでこそ、そこに協和が生まれ、その協和こそが内面に刻み込まれていく。/

(承前)

人格教育の模索と芸術

ルソーに心酔したペスタロッチ(1746~1827)は、当初、みずから自律的な農民になることを試みるが失敗。1799年、革命の戦災孤児たちの教育者となる。その目標は、子どもたちが貧困から脱出できるだけの自助能力を身につけさせることだった。しかし、それは、直接的な労働能力でも、教条的な生活規則でもなく、まず第一に、内なる安らぎと問題を克服する信念であり、家庭や隣人の愛こそが、ひいては神への信頼をもたらす、と彼は考えた。

ペスタロッチは、『ゲルトルートが彼女の子どもたちにどう教えるか』(1801)において、彼の彼の二十年も前の小説の主人公、ゲルトルートという信仰深く愛情篤い田舎の母親の名を借りて、その先の具体的な教育手順をにまとめた。それは、ルソーの『エミール』に似て、外部からの説明ではなく、内発的な「直観(Anschauung)」を鍵とする。つまり、子ども自身が直接体験を重ねることで、おのずから物事の本質を理解し、個人的な偏りも解消される、とされ、この上で、芸術(創作)、数理、言語を学び、これがさらに、仕事(体育)、道徳、信仰へと高められる、とされた。

ペスタロッチに感化されたヘルバート(1776~1841)は、これを踏まえ、教育の目的は倫理学であり、教育の方法は心理学である、というテーゼを掲げ、『教育の主業としての世界の感性的提示』(1804)において、倫理を導く直観として、疑似物理学的な美徳形成理論を立てた。これは、かつてバウムガルテンが試みた協和する美徳イメージの内的着想論と似ているが、芸術創作を介して主体実践に転じるペスタロッチの工夫を欠いており、かえってまた《主知主義のアポリア》に戻ってしまっている。

実際にペスタロッチの下で働いて薫陶を受けたフレーベル(1782~1852)は、薬草や鉱物にも親しみ、その類比から、幼児もまた内在的な成長力を持つ、と感じ、1837年、子ども菜園(kindergarden、幼稚園)を創った。ここでは、教員の指導ではなく、遊びと活動の中でこそ、子どもたちはみずから育つ、と考えられ、自由労作(Freiarbeit)として、歌やダンス、積木、造園などが重視された。これは、内面主導のヘルバートと違って、最初から直接体験を主体実践と一体化する方策だろう。

革命期、従来の大学や兵学校に加えて、師範学校や工学校、政治学校など、国家のための人材育成機関が各国で創設される。しかし、これは男子に限られた話で、女子については、ただ音楽学校のみが門戸を開き、それもピアノと声楽に限られていた。しかし、産業革命と資本主義による新興成金は、サロンでパーティを開き、ここに著名芸術家を呼ぶことを好み、ピアノが高級インテリアとして人気になる。これとともに、家庭でも女子にピアノを習わせ、パーティで演奏を披露することがステータスとなり、ピアノ教師の需要が劇的に高まった。おりしも、成金とは逆に、地代収入に依存していた地方小領主たちが零落しており、結婚の当てを失ったその中年独身娘たちがグヴェルナント(女家宰)やピアノ教師となって、かろうじて尊厳ある自活の道を得ることができた。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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