芸術は美徳を養うか②:日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

2024.08.26

ライフ・ソーシャル

芸術は美徳を養うか②:日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/美徳は、時と場によって違い、また、状況とともに変化していき、そもそも当事者の立場によっても異なる。したがって、それは、創造力を求める。しかし、それは、いわゆる芸術作品を鑑賞したり、創作したりすれば、できるようになる、などということはない。教える者もともに遊び、労作に励んでこそ、そこに協和が生まれ、その協和こそが内面に刻み込まれていく。/

23年に関東大震災があり、また、ロシア革命後の社会主義の広がりもあって、25年、天皇制や私有財産を否定する表現や結社を禁じる治安維持法が布かれる。しかし、震災復興費用捻出のため、数万の将兵を削減せざるをえず、これを中高大学の「教練」に配属した。その目的は、第一次大戦のような国民総力戦に備えるだけでなく、左翼が学生を取り込むことを防止監視することだった。内容は個人運動や団体行動、銃剣練習、戦史講和などで、やがて週8時間にも及ぶようになる。

成城学園の訓導(主事)、小原國芳(1887~1977)は、国際エリート主義を嫌い、また、軍隊第一の世風に対して教育第一を掲げ、万人ための私立大学をめざして、29年、玉川学園を分離。ここでは、アボッツホルム風の「全人教育」として、真善美に聖健富を加え、未開の山野に学園を興したこともあって、教員学童一体での労作・経験・自修が重視された。しかし、1931年の満州事変の後、これを欧米列強の侵略蛮行に対する八紘一宇アジア解放の「義戦」と位置づけ、天皇を中心とする独自の奇妙な「武士道的キリスト教」を唱えて、軍事教練にも積極的に協力する。


美的感性のアポリア

画一的なファシズムの反省から、戦後、ヨーロッパや日本では、教育民主化が図られる。ここにおいて、個性と自由を尊重する大正時代の「新教育」が再評価され、新たに独自の教育理念を掲げた私学も数多く創られた。その中には、ペスタロッチやモンテッソーリの教育法を踏まえ、音楽や美術の芸術を重視することで、情操を養い、人間的美徳を学ばせようとするものも少なくなかった。

しかし、まず一重に芸術と言っても、鑑賞と創作では、受動と主体と、大きな隔たりがある。第一に、宗教の教宣カテキズムのように特定のメッセージ性を含むもの、また、孔子のように独断的に良いと決めつけた特定の芸術を鑑賞させ、これらを範として模倣させるだけであれば、それは学知の複製と同様、主体的な創造とは言えまい。

第二に、デューイのようにいかに大量多様に鑑賞させたとしても、それが主体的な創造につながるとはかぎらない。そもそも大量多様の芸術鑑賞の経験が感性を発達させる、ということからして、上述の、限定良質の芸術鑑賞の経験が感性を発達させる、という説と同様に根拠薄弱だろう。

それゆえ、第三に、フレーベルやリードのように、人間には善悪以前の遊びの衝動、主体性がある、主張するかもしれない。この目的不定の創発性(emargence)は、フランスのベルクソン(1859~1941)、そして、フロイト、ユングに連なるアイディアである。しかし、創発性は、その発露にも善悪良否は無く、したがって、それはかならずしも建設的なものとは限らず、むしろもとより統制を持たないがゆえに、ただ破壊的であることの方が多い。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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