芸術は美徳を養うか②:日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

2024.08.26

ライフ・ソーシャル

芸術は美徳を養うか②:日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/美徳は、時と場によって違い、また、状況とともに変化していき、そもそも当事者の立場によっても異なる。したがって、それは、創造力を求める。しかし、それは、いわゆる芸術作品を鑑賞したり、創作したりすれば、できるようになる、などということはない。教える者もともに遊び、労作に励んでこそ、そこに協和が生まれ、その協和こそが内面に刻み込まれていく。/

古典的なパーツを組み直すことで、あえて奇抜さを求めた「シュールレアリスム(超写実主義)」とともに、第一次大戦と世界恐慌で反発すべき正統派そのものの権威も瓦解すると、混迷する無秩序無意味そのものを打ち出した「ダダイズム」が流行する。1917年にニューヨークのデュシャン(1887~1968)がアンデパンダン展に出した『泉』を典型として、既存品を寄せ集めたコラージュ、奇矯な行為そのものを見せるパフォーマンス、意味ありげだが無意味なものの図案などが数多く創られ、女性の「アーティスト」たちも多く活躍した。

兵士や工員として動員するための初等国民教育の普及とともに、雑誌やラジオ、映画を通じて、文化知識不要のミステリやSFのような大衆文学、流行歌や銀幕スターのような大衆芸能も人気を博した。また、大量生産大衆消費社会の到来に、広告やポスターなどの商業芸術も拡大し、政治においてもプロパガンダ芸術が大いに利用された。ドイツのナチスは、世紀末芸術やダダイズムを徹底的に弾圧しつつ、それまで芸術としては認められてこなかった建築や製品、服飾などのデザインを政治的にも重視した。

プラグマティズムの影響を受けたデューイ(1859~1952)は、「方便主義(instrumentalism)」として、『経験としての芸術』(1934)において、創作にせよ、鑑賞にせよ、芸術は感性(aesthetic)的経験のための手段、教材であり、作品の是非を問わない、という立場を示し、このプラグマティズム美学によって、かならずしも美しくない退廃的な世紀末芸術や無秩序無意味なダダイズム、さらには大衆社会の娯楽的ポップカルチャーまで、広義の「芸術」に包摂されることになった。彼において、感性的経験の豊かさが、感受性(全体包摂直観)となり、コミュニケーション(調整力)を培う、とされているが、創作や鑑賞の芸術経験の量や多様性が感受性に繋がる論拠を欠き、また、感受性を主体性(調整力)に転換させる困難という長年の《主知主義のアポリア》に陥っている。

しかし、詩人で芸術批評家としても知られるリード(1893~1968)は、『芸術を通じての教育』(1943)において、善悪を越えたアナキズム(無秩序)な主体的創造力を人間に天賦のものとし、これを原動力して、個性と社会性を教育で身につけさせよう、と考えた。もとより彼は、バウムガルテンと同様、美徳の理想、実際の創造にはイメージの模索(imagination)が先行する、としており、また、ペスタロッチ式に、美術や音楽だけでなく、運動や言語、さらにはより高次の構想思考力(カント的な認識構想力ではなく実践構想力)を含むものになっている。それゆえ、写実印象的な感受性だけでなく、シュールレアリズムのような現実を越える想像力も同等に評価する。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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