/美徳は、時と場によって違い、また、状況とともに変化していき、そもそも当事者の立場によっても異なる。したがって、それは、創造力を求める。しかし、それは、いわゆる芸術作品を鑑賞したり、創作したりすれば、できるようになる、などということはない。教える者もともに遊び、労作に励んでこそ、そこに協和が生まれ、その協和こそが内面に刻み込まれていく。/
精神科医の家に生まれたヨハンナ・シュピーリ(1827~1901)は、本人も鬱病に苦しみ、その転地療養先での経験から『ハイジ』(前1780、後81)を書いた。これは、ゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』を模して、当初、「ハイジの修行と遍歴の時代」として発表された。山で祖父に育てられていたハイジは、突然、都会に連れ去られ、足の悪い富豪の娘クララの友人とされ、グヴェルナントの厳しいしつけに苦しみつつも、聖書の絵物語で字を学ぶ。そして、体調を崩して山へ戻り、神と運命を呪って村人と対立する祖父を放蕩息子の話で回心させる。
この本の評判が高かったので、翌年、シュピーリは、続編「ハイジは学んだことを使える」を出す。ここでは、山に来たクララが、ハイジたちとの生活の中で、歩けるようになる。しかし、これは、教養小説というより、大人のための童話だろう。劇的な産業革命と都市発展の時代にあって、山を理想郷とし、子どもたちの純真さに、大人たちが忘れた互助や信仰心を思い出そうと訴えるところに主眼がある。それゆえ、すでに時代錯誤とされてしまっていた宗教教育の効果と意義を再評価する面はあるが、積極的に、これを復興して、教育の中心に据えようと主張するものではない。
米国セントルイス高校の校長だったトーマス・デイヴィッドソン(1840~1900)は、アリストテレスなどの研究から、個々の人間の魂を、神と同様に全体を含むモナド(独立単位)と考え、自分の全的多面性の実現によって、内なる神性に気づくことができる、として、1883年、「新生活友の会」を創った。これに影響を受けた教師レッディ(1858~1932)は、1889年、英国バーミンガム郊外に寄宿私学校アボッツホルムを創設し、「田園教育」を行う。これは、あえて公教育に対抗し、古典より外国語が重視され、美術や音楽を採り入れ、さらには運動や労作(牧畜・造園・大工など)も自由自主に学ぶものとされた。
イタリア初の女性医師マリア・モンテッソーリ(1870~1952)は、知的障害があるとされた子どもたちでも、指先を動かすような遊びの感覚刺激で知能が向上することを発見し、これを教育法としてまとめた。それは、幼児の吸収心(感覚や言語)、児童の社会化(理由や道徳)、青年の価値観(正義や尊厳)、そして、若者の文明参加(科学と職業)の内発的な発達四段階に応じた環境を提供すことで、みずから概念を発見させる、というもので、具体的には、幼児には五感に触れる教材を、児童には自分で調べる学際的課題を与える。
解説
2024.03.29
2024.05.01
2024.06.27
2024.07.25
2024.08.01
2024.08.18
2024.08.26
2024.08.26
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。