/美徳は、時と場によって違い、また、状況とともに変化していき、そもそも当事者の立場によっても異なる。したがって、それは、創造力を求める。しかし、それは、いわゆる芸術作品を鑑賞したり、創作したりすれば、できるようになる、などということはない。教える者もともに遊び、労作に励んでこそ、そこに協和が生まれ、その協和こそが内面に刻み込まれていく。/
この芸道は、たんに表現された作品所作の協和的美徳だけでなく、表現する作者自身を道に沿ったものに仕立てていく人間性の創造、人格陶冶と表裏一体になっている。この活動は、仏教語を借りて「精進」と呼ばれる。これは、たんなる努力ではなく、開祖シッダールタ本人の初転法輪(最初の説法)とされる「八正道」の六に相当し、不善を正し、未善を成すことを求める倫理規範である。これに先立つ五規範、正見(感性)・正思惟(理性)・正語(言語)・正業(行動)・正命(生活)は、まちがったものを避けるという消極消去法的に中正を保とうとするものだが、この精進では翻って積極的な実践が求められ、これに正念(配慮、satima)をもって、正定(安定)に至る。
ペスタロッチに学んだというヘルバートやフレーベルにしても、まして、その後のデューイやピアジェのような児童心理学にしても、科学的であろうとするがゆえに、子どもたちを観察実験の対象として、そこから遠く離れた神の視点に立とうとしている。しかし、メイヨーらによるホーソン実験(1924~32)でもよく知られるようになったように、道具がどうこう、活動がどうこうよりも、人間は人間関係にこそ大きな影響を受ける。ペスタロッチは、児童教育よりなにより、まずペスタロッチ自身が孤児たちに愛情を注ぐことを第一とし、子どもたちに内なる安らぎを与え、問題を克服する信念を身につけさせることの目標とした。これは、シッダールタが善行美徳より前に、まず心と生活の中正を求めたのと同じだろう。
つまり、芸術で美徳を学ばせる、学ばせられる、などと考えるのは、性急すぎる。美徳が協和である以上、学ぶ者に心と生活の安寧が必要であり、学ぶ者と教える者との協和が求められる。それゆえ、遊びも労作も、ただ子どもの自由自主性に任せるのではなく、教える者もともに遊び、労作に励んでこそ、そこに協和が生まれ、その協和こそが内面に刻み込まれていく。実際、日本の芸道でも、師範が外からあれこれ指示命令するのではなく、門弟と同席し、共作共演し、ともに学んでいく指導方法の方が一般的だ。
美徳は、つかみどころがない。それが永遠不変の対象ではないからだ。時と場によって違い、また、状況とともに変化していき、そもそも当事者の立場によっても異なる。したがって、それは、その状況を、そして、その当事者自身を協和的に良くしていくような創造力を求める。この意味で、美徳は芸術的だ。ただし、それは、いわゆる芸術作品を鑑賞したり、創作したりすれば、できるようになる、などということはない。不全の現実を前に、あえて積極的に美徳を実現しようと情念には、その基礎として、内なる安らぎと問題を克服できるという信念、つまり、強い情操が必要であり、これは家族や隣人、師範や朋友との人間的信頼関係においてこそ培われる。
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元テレビ朝日報道局ブレーン
解説
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。