/美徳は、時と場によって違い、また、状況とともに変化していき、そもそも当事者の立場によっても異なる。したがって、それは、創造力を求める。しかし、それは、いわゆる芸術作品を鑑賞したり、創作したりすれば、できるようになる、などということはない。教える者もともに遊び、労作に励んでこそ、そこに協和が生まれ、その協和こそが内面に刻み込まれていく。/
日本において、諸芸は、たんなる見世物や趣味ではなく、武道などと同様、「芸道」、すなわち、人間性を陶冶する徳成の方途と見なされ、それゆえ、プロのみならず、一般庶民にも精進の広がりが見られる。だが、世界を見渡せば、古今東西、武道家以上に、モラリティのかけらも無い、ろくでもない不埒破天荒な芸術家は枚挙に暇が無く、また、それが、芸術家だから、として、寛容に容認されてきた感さえある。このような現実を前に、日本では、どのように芸術に道徳性を求める「芸道」という思想が成り立っているのだろうか。
古代の宗教と芸術
芸術が徳育に役立つ、というアイディアそのものは、その成否はともかく、かならずしも日本に限られたものではない。それゆえ、まずこの一般論から再覧しておこう。
多くの文明において、神像崇拝は一般的だった。それも、それはかならずしも人型ではなく、牛や熊、鷹、狼など、獣像だったり、獣頭人身だったりする。また、巨石などの抽象的な自然物が御神体として崇拝されることもあった。これに対し、唯一神を信奉するユダヤ教は、モーゼの十戒の第二条「偶像を作るな」によって、通俗的な神像が否定した。。しかし、聖書の『詩編』などを見るに、曲のついた賛美歌のようなものは、むしろ信仰励行のために、積極的に普及されてきた様子が覗える。
また、古代インドにおけるバラモン教は、宇宙霊ブラフマンとその断片の魂(気息)の多種多様な生物の輪廻に対する形而上学的信仰であり、特異な呼吸修養法であるヨーガによる忘我で得られるイメージは、きわめて抽象的で、美術や音楽で表現されることはなかった。まして、バラモン教の輪廻の形而上学はもちろん、現世的な物事の実体性さえ否定した仏教は、当然ながら、当初は宗教芸術を持たなかった。ところが、6世紀、南インドの土俗的で極彩色の神像崇拝が、西の古いインダス文明の青い創造破壊神シヴァ、バラモン教のブラフマンを具象化した四面のブラフマー、仏教の理法を具象化した化身のヴィシュヌなどの神々を取り込んで、バラモン教や仏教を凌駕し、多神教のヒンドゥー教として爆発的に流行する。
東南アジアや中央アジア、チベットで生き残った仏教も、このヒンドゥー教の影響を強く受け、その抽象的な概念は、やはり極彩色の仏画仏像として具象化され、中国、そして、日本に伝わった。これによって、やはりシンボリックで抽象的だった本邦固有の神道は、仏教に吸収され、神仏習合の神像まで作られるに至る。くわえて、ヒンドゥー教や仏教では、打楽器を多用した陶酔儀礼曲が用いられ、日本では、邦人には意味不明の現地語の真言読経なども、独特の緩急と抑揚で、宗教音楽として機能した。
解説
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。