芸術は美徳を養うか① :日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

2024.08.26

ライフ・ソーシャル

芸術は美徳を養うか① :日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/美徳は、時と場によって違い、また、状況とともに変化していき、そもそも当事者の立場によっても異なる。したがって、それは、創造力を求める。しかし、それは、いわゆる芸術作品を鑑賞したり、創作したりすれば、できるようになる、などということはない。教える者もともに遊び、労作に励んでこそ、そこに協和が生まれ、その協和こそが内面に刻み込まれていく。/

しかし、日本には、大物主や牛頭(ごず)天王など、荒ぶる祟神(たたりがみ)もいて、これらは手厚く祭って鎮め、「和魂(にぎたま)」に変えておく必要があった。くわえて、菅原道真や平将門、崇徳院、そして小野小町など、失意非業に没した者、とくにもとより歌に長け、自然神徳に通じた者も「怨霊」となり、災厄疫病、天変地異をもたらすと考えられた。これらに対しては、真言仏道や陰陽道でこれを防ぎ払うとともに、これらに神格を与え、「御霊」として祭り鎮めることも行われた。

まして、中世に切り替わる際の源平合戦で、平家の公達の多くが抹殺されると、その栄華と衰滅を盲人法師が歌って弔う『平家物語』が生まれ、また、奇矯な民衆芸の寄席にすぎなかった猿楽も、弔いの踊り念仏を取り込み、死者や神鬼の地縛霊を供養する「夢幻能」となって、武家の精神文化の主軸を成した。これらは、芸能の形式は違えど、芸の中に神霊を呼び出し、あらためてこれを鎮めて安寧を願う、という意味で、古代の神楽や祝詞、和歌を踏襲するものである。


美徳の創造的模索

古来、宗教は、芸術を教条広宣に利用しきた。孔子が殷朝文化を、ピュタゴラス派は数理調和を理想の美徳とし、その一面を芸術に見てきたとはいえ、自分たちの信仰に合致する特定の芸術的なものをカテキズム(入門手引)としてきたにすぎない。そしてまた、宗教の中には、美術や音楽のような創造的な芸術を、危険視して否定する教条主義的なものもある。

とくに西欧キリスト教は、偶像禁止をユダヤ教から継承しただけでなく、現世否定、美術嫌悪の思想をプラトンから採り込み、これに強い影響を受けた。くわえて、アウグスティヌスの弁神論(悪の存在を神に代わって弁明する議論)によって、悪は神に由来せず、人間の自由意志こそが悪の源泉である、とされ、人間の創造性そのものが越権的な悪とされた。かくして、教会のヒエラルキア(神聖管理)とともに、修道士たちのような清貧、貞節、服従が一般庶民にまで強制され、自発性を徹底的に否定する「暗黒時代」の停滞に陥り、ただ均一のグレゴリウス聖歌のみが全域で支配的に普及した。

中国の儒教も、漢代に官学国教化されると、五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)が官僚の必須の教養となった。ここにおいては、孔子が美徳の理想とされた殷代文化を詩書礼楽を通じて学ぼうとする精神は失われ、儒学者たち、そして官吏たちは、むしろ傲慢で融通が効かない人々の典型として揶揄されるところとなる。そして、隋代には、科挙として官学儒教の知識で高級官僚が選抜されるようになったが、ここでも作法や音楽のような実践が課せられることはなかった。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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