芸術は美徳を養うか① :日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

2024.08.26

ライフ・ソーシャル

芸術は美徳を養うか① :日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/美徳は、時と場によって違い、また、状況とともに変化していき、そもそも当事者の立場によっても異なる。したがって、それは、創造力を求める。しかし、それは、いわゆる芸術作品を鑑賞したり、創作したりすれば、できるようになる、などということはない。教える者もともに遊び、労作に励んでこそ、そこに協和が生まれ、その協和こそが内面に刻み込まれていく。/

当初、ローマ帝国に弾圧されたキリスト教は、ユダヤ教的な詩歌(賛美歌)を取り込む一方、十字架や魚(魚を意味するΙΧΘΥΣ=イエス・キリスト、神の子、救世主、の頭文字)などを隠れた信仰のシンボルとした。しかし、帝国末期、キリスト教が公認されるに至ると、インチキくさい東方の聖遺物の流入とともに、十字架像やマリア像などが修道院の副業として大量に作られ、これらの偶像がゲルマン人への信仰普及に大きく貢献した。もちろん、これは、ユダヤ教同様、モーゼ十戒第二条に反するもので、東ローマ皇帝の繰り返しの禁止令にもかかわらず、密かに作られ続けたが、このような事情で、その質は稚拙な水準に留まった。

イスラムは、ムハンマドのカーバ神殿の偶像破壊を起源としていることもあって、その後もモーゼから引き継いだ偶像禁止原則が徹底され、文様や建築のようなデザインが、かえって高度に発達した。彼らは、音楽、聖歌さえも一種の偶像と見なして禁じたが、神を直接に体感しようとするスーフィズムにおいて、音楽とともにゆっくり回り続けて陶酔するメウレヴィー教団のようなものも表れた。


芸術徳育論の萌芽

だが、これらの古代宗教芸術は、アプリオリな抽象的教義を教条(カテキズム、入門要領)として通俗的に広宣する手段として美術や音楽を利用しているにすぎず、芸術そのものが徳性を持つわけではない。では、芸術に徳性を認めたのは、どのような思想が端緒だろうか。

紀元前600年頃、孔子は、仁、すなわち、人間性の核を養うために、詩書礼楽として、古詩、政令、儀式とともに、琴などの楽器の実際の演奏技術を弟子たちに求めた。孔子は、これらを通じて、彼が理想とする古代殷朝の政治や文化を模して倣うことで、善良な人間性を体得させることを目的としていた。

しかし、古代殷朝の政治と文化については、当時、伝承を超えるものではなく、そもそも、それが善良で理想的だった、とするのは、孔子の独断的な思い込み以上の根拠が無い。実情からすれば、孔子の時代、生まれの賎しい孔子自身さえすでに実力官僚主義に依拠しているのに、殷朝は古い親族主義の宗族制に基づいており、原理的にも、孔子の教育とあい入れないものだった。くわえて、殷朝については、孔子は、もとより上記のような史料以上のものを持ち合わせておらず、孔子自身、むしろそれを具体的な教条として明確に示すことはできなかったがゆえに、範例としての詩書礼楽に頼った、というのが真相だろう。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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