芸術は美徳を養うか① :日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

2024.08.26

ライフ・ソーシャル

芸術は美徳を養うか① :日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/美徳は、時と場によって違い、また、状況とともに変化していき、そもそも当事者の立場によっても異なる。したがって、それは、創造力を求める。しかし、それは、いわゆる芸術作品を鑑賞したり、創作したりすれば、できるようになる、などということはない。教える者もともに遊び、労作に励んでこそ、そこに協和が生まれ、その協和こそが内面に刻み込まれていく。/

しかるに、古代ギリシアのアリストテレスは、芸術にこそ美徳探索の源泉があるとした。彼によれば、もともとエーゲ海周辺のさまざまな民族の都市国家の寄せ集めだった古代ギリシアが、神話や英雄伝を題材にした演劇を通じてこれらを共有していき、同じギリシア人としての倫理と文明を築いた、と考えた。つまり、演劇は、何が美徳か、人々が考えるための知性の社会的共通基盤である。

これは、古代ギリシアにかぎったことではない。世界各地で見られる聖人説、英雄譚、偉人伝なども、広く人口に膾炙し、さまざまに論じられることで、そこに曖昧なまま、人としてあるべき美徳の理念がおぼろげながらも社会共有された。仏教や儒教、キリスト教なども、最初から教条主義だったわけではない。そもそも、当初は、その教条そのものがまだ確立されておらず、どうにか祖師や高弟たちの言行録をまとめられると、古代ギリシアの演劇と同じように、これを共通基盤として、その真意本質を議論した。そして、むしろこれを明文化し、検討再考の創造性を失って、形骸的な教条となった。

イスラム教は、キリスト教以上に偶像崇拝を禁じたものの、主流派は宗教指導者を持たないスンニ主義を採り、ウンマ(共同体)に神意が表れる、と考えられた。それゆえ、『コーラン』などの聖書、ムハンマドや初期集団の言行を範として、法学者たちはもちろん、一般信徒も巻き込み、さかんに継続的に議論が行われた。そして、これによって時代の進歩にも柔軟に適合し、さまざまな研究や発明が進んで、壮麗な意匠を施したモスクや宮殿、学校が建設され、広域交流の「黄金時代」を迎えた。

仏教でも、莫大な経典が溢れかえると、中国で開祖シッダールタと同様に直接に座禅瞑想や日常修養をもって悟りを得ようとする禅宗が生まれた。ここでは、不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん)・直指人心(じきしにんしん)・見性成仏(けんしょうじょうぶつ)を「四聖句」とし、「二入四行」(理入に対する行入、報冤(鎮心)・随縁(日常)・無所有(放執)・称法(体現)の四行)での修養が試みられた。すなわち、文献経典から知識として美徳を学ぶのではなく、食事や掃除など、日々の当たり前の生活の中で仏法美徳を体得しようというものである。しかし、これは、自己一人の心の内面の安寧を求めるもので、社会的美徳とは無縁、それどころか、ときには理不尽無法な独善自尊を助長するものとなった。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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