芸術は美徳を養うか① :日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

2024.08.26

ライフ・ソーシャル

芸術は美徳を養うか① :日本の芸道とバウムガルテン、ペスタロッチ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/美徳は、時と場によって違い、また、状況とともに変化していき、そもそも当事者の立場によっても異なる。したがって、それは、創造力を求める。しかし、それは、いわゆる芸術作品を鑑賞したり、創作したりすれば、できるようになる、などということはない。教える者もともに遊び、労作に励んでこそ、そこに協和が生まれ、その協和こそが内面に刻み込まれていく。/

参勤交代や公義普請などの過大な負担もあって、貨幣経済が進展すると、米本位の幕府や大名家はどこも財政危機に陥った。大名家は、藩校を創って子弟に朱子学を教えることで忠誠心の引き締めを図る一方、身分を超えて有為の人材を顕彰抜擢した。同様に、幕府も、側用人、田沼意次(1719~88)が中心になって、有力商家との連携を強化したが、これは収賄汚職など、政治の腐敗を招いた。

この政治と経済が結託で、沈滞していた茶道が町人門弟を大量に受け入れて復興を果たす。しかし、それは、連歌俳諧と同様、じつは商談のための寄合いで、茶室ではなく広間を用い、武芸をまねた勝敗行事や段位性を採り入れ、精進を煽った。また、ここにおいて、高価な茶道具が師匠から門弟に下賜販売され、その自慢も流行し、蓄財目的で希少工芸品としての価値も高まった。

くわえて、大名家の参勤交代や常駐屋敷で、江戸や大坂では圧倒的に武家男性が溢れていた。それゆえ、多くの商家は、娘に礼儀作法はもちろん、琴や踊り、さらには囲碁を学ばせ、うまく武家との縁談をまとめて、政治的利権に預ろうとした。そして、これにぶらさがり、一般庶民も、女子に三味線浄瑠璃を学ばせ、裕福な商家に嫁がせようとした。このように、江戸時代中期以降、茶道その他の芸事が商家や庶民にまで広がるが、経済優先社会への構造変化に対応して、美徳ではなく欲得に基づくもので、身分制とは別の、財富の実情を顕示するためのだった。


(②に続く)

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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