/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/
J 自由の女神と同じくらいの背丈ですね。でも、もうそれ、テーマパークのネロランドでしょ。時代を先取りしすぎて理解されなかったけれど、じつはネロって、大衆政治の天才だったのかも。
それだけじゃないですよ、ただでさえヘレニズムかぶれでアポロンを自称するネロ帝は、属州ヘレニズム圏での存在感を高めるべく、67年、あこがれのギリシアを訪れ、なんと無理やり一年早めて開催させたオリンピック競技にみずから参加。1800もの栄冠に輝いて、大人気となります。
J あはは、どうせヤラセでしょ。でも、それ、私も見たかったかも。
しかし、このころすでにユダヤ戦争が起こっており、68年にネロ帝がギリシアから帰国して庶民から大喝采を浴びるも、元老院が裏切って地方の将軍を皇帝に擁立し、ネロを自殺に追い込みます。こんな将軍皇帝たちも次々と暗殺され、結局、69年、ユダヤ戦争でローマ市を離れていた将軍ウェスパシアヌス(9~位69~79)が皇帝に。70年、イェルサレム市を破壊し、これまでユダヤ人が帝国に納税せずに神殿に貯め込んでいた財宝を獲得。73年に残党も潰して完全勝利。ユダヤ人の免税特権を廃止し、帝国全土の国勢調査と徴税徹底で財政再建を図ります。
J ようやく皇帝らしい人が出てきましたね。
09.01.03. フラウィウス朝(69~96)
J その後、帝国はどうなったんですか。
帝国は、フラウィウス朝として、ウェスパシアヌス帝の後を、その長男ティトゥス帝と次男ドミティアヌス帝が継ぎます。この時代、とにかく多種多様な人々をひとつにまとめることが政治の最大の課題であり、言葉を越えた帝国共通のシンボルとして皇帝の神格化が図られました。このため、パンとサーカスで人々を懐柔する一方、話をややこしくする宗教や哲学に対しては、繰り返し追放が行われています。とくにユダヤ人は、その後も各地で反乱を起こしたため、かなり厳しく取り締まられます。
J まあ、宗教はダメでしょうけれど、哲学もですか?
政治家たちとも懇意で、倫理的に高潔で人々の尊敬を集めていた貴族哲学者のルーフスだけは、追放の例外とされました。キケロ風の現実受忍型のストア哲学を講じる彼の塾には、男だけでなく、女性も多く入門しました。足が不自由なエピクテートス(c50~c135)は、奴隷でしたが、ネロ帝の秘書だった主人が追放されたことによって解放され、彼もこの塾でストア哲学を学び、やがて師に代ってエピクテートスが塾で教えたようです。
歴史
2020.02.19
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2021.01.12
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。