キリスト教はローマ帝国に迫害されたか(1)

2020.09.25

開発秘話

キリスト教はローマ帝国に迫害されたか(1)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/

J よくわからないときに、私はわかっている、っていうやつが出てくると、みんな、よけいわけがわからなくなるんですよね。

おりしも37年、ティベリウス帝が無くなり、その弟の孫の若きカリグラ(12~位37~41)が帝位を跡を継ぎます。しかし、20年以上の前帝のほったらかしで、帝国はガタガタ、とくにローマ市は、ローマ市民権を持つ属州富裕層も市内に大量に流入。自由民の三倍もの奴隷がいて、人口は100万を超え、旧市街城壁から溢れ出していました。これらの多くはギリシア語で、上流教養階級もヘレニズムかぶれで、みなギリシア語。南イタリアやシチリア島なども、もともとギリシアの植民市なので、ギリシア語のまま。本来のラテン語を話すのは、ローマ周辺の中下層くらい。

それで、カリグラ帝は、水道や劇場の建設など、市民が喜ぶ皇帝らしいことをはりきってやり、初代オクタウィアヌス帝をまねて、皇帝の神格化、つまり、言葉の違いを超える帝国共通のシンボルとして皇帝神殿を各地に建てさせます。しかし、拡大しすぎた事業は、すぐに国家財政を破綻させてしまいました。それで、カリグラ帝は、訴訟や結婚にも税金を課し、剣闘士を競売、宮殿で売春を経営。そして、問題となったのが、帝国内でのユダヤ人の免税特権、とくにエジプトのアレキサンドリア市でした。

J ユダヤ人の免税特権って?

カエサルが悪いんですよ。まだ中東を平定できていないころ、シリアとエジプトの間にクサビを打ち込むべく、ユダヤ人を懐柔しようと、これまでどおりの神殿納税を認め、帝国には納税しなくていい、としてしまったんです。それで、彼らはとにかく自分たちでがっつり貯め込んだ。

その最たるものがアレキサンドリア市で、紀元前30年にオクウィアヌスがクレオパトラを死に追い込んで以来、同市は、プトレマイオス朝に食い込んでいたギリシア語ユダヤ人官僚たちが支配するところとなっていました。それはイェルサレム市をはるかにしのぎ、ローマ市にも匹敵する100万人規模の大都市で、その中心のギルド、ディプロストーンは、71人の長老たちが管理するシナゴーグと工場、倉庫からなる壮麗な地区であり、無料パン配布を民衆支持の源泉とするローマの穀倉として、帝国経済の首もとを握っていました。

J それじゃ、ローマ帝国は、アレキサンドリア市のユダヤ人に支配されていたようなものじゃないですか。

そこで、カリグラ帝は、38年、アレキサンドリア市に介入しようとしますが、暴動となり、その鎮圧のために、ディプロストーンを破壊、ユダヤ人を虐殺。それで、すべての神はロゴス、論理、理性としてひとつ、だからユダヤ教の否定は不当だ、と考える、プラトンやストア哲学を取り込んだギリシア語ユダヤ人哲学者フィロは、同市の代表として逆にローマに乗り込み、皇帝カリグラに直接、ディプロストーンの再建を要求。カリグラ帝は激怒して、それならイェルサレム神殿にも自分を神として祭れ、と言い出します。それでまたアレキサンドリア市で暴動が起き、いよいよ解体。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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