​フリーメイソンとフランス革命を巡る会話:フランクリン・ゲーテ・ナポレオン

2021.03.22

開発秘話

​フリーメイソンとフランス革命を巡る会話:フランクリン・ゲーテ・ナポレオン

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ブラウンシュヴァイク侯は、フント男爵のドイツ人大移民団を米国独立弾圧の傭兵軍に変え、ロスチャイルド家を通じてその利益を仏大オリエント社のエジプト十字軍に投資。しかし、その大統領オルレアン平等公は武装市民革命を企て、マインツ独立の失敗、ロベスピエールの独裁、ナポレオンのクーデタと、メイソンリーは迷走していく。/


独立マインツ共和国

「でも、立憲王政でいいんでしょ。王権停止を解除すればいいじゃないですか」

「いまさらルイ十六世を立てても無理だろ」

「九二年九月の国民公会(コンヴェンション・ナシオナーレ)でジロンド(ボルドー)派が圧勝して国王無しの共和政に移行。革命軍を組織。そのうえ、オルレアン「平等(エガリテ)」公も、あくまで主戦論を画策したんだ」

「え、どうして?」

「オルレアン「平等(エガリテ)」公は、ジロンド(ボルドー)派のような共和主義者も嫌いだったからね」

「嫌いなのに、同調した?」

「いや、共和主義者が負ける戦争を仕掛ければ、政権は自分のところに転がり込む」

「ひどい狂言回しですね」

「「フランス大オリエント社(GOdF)」が周到に計画したフランス大革命は、彼とその愛人の小ビュフォン伯爵夫人アニェスの野心のせいで、どんどん迷走していくんだ」

「すでに八七年にオルレアン「平等(エガリテ)」公の「フランス大オリエント社(GOdF)」と決裂したドイツのボーデ派はどうしていたんですか?」

「それで、このマインツ市だよ。当時、このあたりは、領地がぐちゃぐちゃに入り組んでいたんだ。ライン渓谷は、コブレンツの選帝(クア)侯トリエル大司教領、ザンクトゴアールはヘッセン家のカッセル方(ラント)伯だったりダルムシュタット方(ラント)伯だったり。マインツ周辺を取り囲んで、マンハイムの宮中(プファルツ)選帝(クア)伯領。マインツ選帝(クア)大司教領は、フランクフルトより東のアッシャッフェンブルクに住んでいて、ライン西岸の自領は、ほったらかし。そして、東岸のウィスバーデンを含むフランクフルトの裏山のタウヌス山脈は、ナッサウ公領。その南がヘッセン家のダルムシュタット方(ラント)伯領。つまり、マインツ市そのものは、拮抗する複雑な勢力争いの渦中にあって、事実上の自由都市だった」

「ちょうどヴェネチアやモンテカルロみたいなものですか」

「ところが、ブラウンシュヴァイク侯が宣戦布告した後の九二年十月、マインツ大学のメイソン連中がフランス革命軍を招き入れて、独立マインツ共和国を樹立してしまった」

「そう言えば、マインツ市は、市民騎士団創設者の自称ヨンセン男爵が詐欺師時代の五五年に、守鍵官シュパウァ伯をインチキ錬金術で引っかけたところですよね」

「そのころからすでに武装市民革命を組織していたのかもな」

「さらに、北のケルン大学やボン大学、二三歳の若きヘーゲルがいた南のチュービンゲン大学でも同様の動きが広がる。それで、ブラウンシュヴァイク侯がプロシア連合軍八万を率いて、マインツ共和国へ出陣。ワイマール公国のアウグスト公とともに宰(さい)相(しょう)ゲーテもプロシア側で従軍。翌九三年三月から、二万の革命軍フランス兵が残るマインツ市を攻囲。七月にはマインツ共和国を壊滅させてしまった」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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