​フリーメイソンとフランス革命を巡る会話:フランクリン・ゲーテ・ナポレオン

2021.03.22

開発秘話

​フリーメイソンとフランス革命を巡る会話:フランクリン・ゲーテ・ナポレオン

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ブラウンシュヴァイク侯は、フント男爵のドイツ人大移民団を米国独立弾圧の傭兵軍に変え、ロスチャイルド家を通じてその利益を仏大オリエント社のエジプト十字軍に投資。しかし、その大統領オルレアン平等公は武装市民革命を企て、マインツ独立の失敗、ロベスピエールの独裁、ナポレオンのクーデタと、メイソンリーは迷走していく。/

「大ブリテンは、勝つ気が無かったんだろうね。本国がほしかったのは、フランスやスペインの握っているカリブ海の西インド諸島の権益で、植民地の方はどうでもよかったんだよ。もともとあんなところはジャコバイト(ジェームズ派)の領土で、先住民たちの際限ない襲撃もあって、なんの利益も見込めなかった。大ブリテンの産業革命に乗り遅れた田舎貴族と、ドイツで喰い詰めた没落貴族や貧窮農民が新大陸を暴れ回っていれば、そのうち、新大陸の連中の方が、跡(あと)継(つぎ)もいないジャコバイト(ジェームズ派)なんか見限って、大ブリテンに帰順すると思っていた」


ドイツの米国支援:ボーテ・カント・ゲーテ

「どうやって形勢を逆転したんだ?」

「その鍵となるのが、ゲーテさ。このころ爆発的な話題になっていたのが、二五歳のゲーテが書いた『若きウェルテルの悩み』。主人公の青年が婚約者のいる娘に恋して絶望し拳銃自殺する、というモックドキュメント風の書簡体小説で、七四年の九月に出版されると、ドイツはもちろんフランスその他でも売れに売れまくり、主人公の黄色いチョッキ、さらには拳銃自殺まで流行してしまった」

「すごい人気ですね」

「ちょうどワイマール公国に十八歳のカールアウグスト公がいて、彼もまたこの小説に心酔していた。それで、その家庭教師がカールアウグスト公とその弟をパリへグランドツアーに連れて行く途中でフランクフルト市に立ち寄り、ゲーテとカールアウグスト公を引き合わせた」

「それで?」

「二人は兄弟のように意気投合し、七六年十一月、カールアウグスト公はゲーテをワイマール公国に招聘した」

「それと、米国独立戦争と、どんな関係があるんですか?」

「この本自体は、ライプツィッヒ市のヴェイガントが出したんだが、その出版を仲介したのが、ハノーファー選帝(クア)公国の中の自由都市ハンブルクの新聞編集人ボーテなんだ。彼はブラウンシュヴァイク侯国の貧しい家の生まれだったが、大学を出て、英語や仏語もでき、港町のハンブルク市にあって内外の情報に通じ、新聞を出していた。七五年の独立戦争開戦当時で四〇歳。じつは、彼は、ドイツで最初というハノーファー市の伝統あるメイソンロッジ「アブサロム」の幹事で、新大陸移住を計画する「厳格(ストリクト)新聖堂騎士団(テンプラー)」の送り出しドイツ側の連絡係だった。つまり、受け入れ側のフランクリンとは年来の付き合いだったんだ」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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