/教科書では、株式会社は、物的な営利の社団法人、と教えられる。しかし、その実際は、むしろ意思無能力な財団であって、その後見人としての支配権と正当性が、歴史的、社会的に揺らぎ続けている。/
もちろん一般には、財産は、行動行為や意思行為によって獲得され、消費・破棄・遺失するまで所有していることになるが、静的な《所有推移律》(AがBを所有し、BがCを所有するとき、AはCを所有する)と、動的な《結果所有律》(AがBを結果するとき、AはBを所有する)によって、《結果所有推移律》(AがBを所有し、BがCを結果して所有するとき、AはCを所有する)が得られる以上、まったく行為なしに財産を獲得することもありうる。たとえば、山の主は、何もせずして、山の木を獲得し所有する。
また、我々は、売る、買う、貸す、借りる、などの経済行為が、基本的に〈行動行為〉ではなく、〈表示行為〉であることにも着目しなければならない。すなわち、なんらかの方法で意思表示することができ、かつ、財産や対価の引き渡しという経済的義務を果たすならば、それ以上の身体的な行動は必要ではない。また、契約する、雇用する、などの経済周辺行為についても、同様である。そして、財産を所有する場合、これを担保に貨幣を借り、対価に当てることができる。それゆえ、いかなる経緯で獲得したのであれ、財産を所有する者は、それだけで形式的に経済行為の〈行為能力〉を持つ、ということになる。この〈行為能力〉について、〈意思能力〉は問題ではない。というのも、〈意思能力〉がない場合、この〈行為能力〉が発動しないだけだからである。
4 意思無能力者と後見制度
いわゆる「植物人間」、法律的に言うと、心神喪失の常況にある「意思無能力者」は、「禁治産者」(『民法』7)として、直接には「行為無能力者」(『民法』9)とされるとともに、「後見人」(『民法』8)を選任して、療養看護(『民法』858①)、財産管理(『民法』859①)の事務に当たらせる。この際、「後見人」は、その財産に関する法律行為について被後見人を「代表」する。「代表」は、「代理」「使者」とは区別される。「使者」は、本人の意思を第三者に伝達するにすぎないのに対し、「代理」は、自分の権限内において、自分の意思によって、その法律効果が本人に帰属する意思表示を第三者に行ったり、第三者から受けたりすること(『民法』99)であるが、「代表」は、その行為がそのまま本人の行為とされること(『辞典』)を意味する。
くわえて、「後見人」の事務は、「後見監督人」によって監督される。「監督」は、一般には、被監督者の行為の合法性や合目的性を監視し調査するだけの「監査」より強く、大臣による機関の監督、主務官庁の公益法人の監督など、必要に応じて被監督者に対し直接に指示や命令をすることを含む(『辞典』)。ただし、「後見監督人」の場合、「監査」は行う(『民法』863)が、急迫の事情がある場合以外(『民法』851)は、家庭裁判所に後見人に対する命令を請求する(『民法』863②)のであり、それゆえ、その職務は、事実上、むしろ「監査」に近い。そして、この点に関し、後見人に対する命令権において、むしろ家庭裁判所が、司法機関でありながら、後見人を監督する事実上の上位の行政機関となっている。
哲学
2017.06.28
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。