/教科書では、株式会社は、物的な営利の社団法人、と教えられる。しかし、その実際は、むしろ意思無能力な財団であって、その後見人としての支配権と正当性が、歴史的、社会的に揺らぎ続けている。/
7 雇用と従業員
法学と違い、経営学や社会常識では、もとより「株主」を、金融機関などと同様の企業の外部の利害関係者とみなし、むしろ、〈企業法人〉を、「従業員」を社員とする〈社団〉、有機的な〈組織〉と見る傾向がある。しかし、このような理解は、あきらかに現行法体系の形式と相反する。だが、「商法の進歩的傾向」という意味からすれば、これは、だからといって、経営学や社会常識が間違っている、として片づけるべき問題ではなく、むしろ、追って法体系の整備が求められるべき問題であろう。しかし、そのためにも、経営学や社会常識における〈企業法人〉の法哲学構造をあらかじめ解明する必要がある。
まず最初に、「従業員」が「株式会社」に「雇用」される、という点については、法学も経営学や社会常識も相違はない。問題は、この「雇用」という概念によって、「従業員」は、「株式会社」の成員、いわゆる「社員」になった、というように、法学の理論に反して、経営学や社会常識で考えられることである。とすると、我々は、この「雇用」という概念の持つ法哲学的意味を再考する必要がある。
「雇用(雇傭)」は、『民法』623の規定によれば、単純な労務契約にすぎない。すなわち、一方が労務に服することを約束し、他方が報酬を与えることを約束する一般的な諾成有償双務契約の一種にすぎない。これは、同じ諾成有償双務契約であっても、事務処理に関する「委任」や、仕事完成に関する「請負」と違い、被雇用者は、使用者の指揮に従い、裁量の余地が限られる、とされる(『辞典』)。そして、以下詳細は、「労働」として労働関連の法律によって規定されることになる。つまり、『民法』の基本原理は、使用者と被雇用者(労働者)とを対等の立場とみなすことにあり、労働関連の法律は、その不平等の現実に対して、『民法』の基本原理が成り立つように、これを対等のものに是正しようとする側面を強く持つが、いずれにせよ、ここに〈社団〉と成員という図式に当てはめうるものはない。
このような「雇用」に関する法哲学的構造は、いかに現行法体系とはいえ、現代の我々の社会常識からあまりに懸け離れている。(20) 現在、諸般の問題は、これらの概念に擬制して処理されているが、このように現実からずれた法体系を放置することは、会社にとっても、被雇用者にとっても、法的権利義務関係が不明確となり、むしろ問題や紛争の元凶となりかねない。
哲学
2017.06.28
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。