/教科書では、株式会社は、物的な営利の社団法人、と教えられる。しかし、その実際は、むしろ意思無能力な財団であって、その後見人としての支配権と正当性が、歴史的、社会的に揺らぎ続けている。/
「株式会社」には、「監査役」も存在するが、これは、「株式会社」の後見人である「取締役会」のまさに「監査」のみを行い、「株主総会」に報告するだけで、「取締役会」に対する直接の「監督」権限、すなわち直接に指示や命令をする権限を持たない16。そして、むしろこの意味で、「取締役会」の経営は、その後、「株主総会」のチェックを受ける。ここにおいて、「株主総会」は、立法機関というより、家庭裁判所に相当する機能、すなわち法律や定款や決議に基づく司法機関であるだけでなく、後見を〈監督〉する上位行政機関としての役割をも果たしていることになる17。すなわち、「株主総会」は、個々の「取締役」の「総会決議遵守義務」(『商法』254ノ3)によって、その〈人的会社〉である「取締役会」を間接的に〈監督〉するとともに、個々の「株主」もまた、「代表訴訟権」(『商法』267)や「差止請求権」(『商法』272)によって、個々の「取締役」を〈監督〉する18。
6 株式会社の財団性
通常は「代表」という制度によって非常に見えにくくなっているが、平行する「意思無能力者」に関する後見制度を参考に、このように「株式会社」の本来の、つまり、「代表」によって権利主体や行為能力が補完される以前の構図を分析してみると、後見監督人たる「株主総会」は〈物的会社〉として、後見人たる「取締役会」は〈人的会社〉として、たしかに〈社団〉であるが、「株式会社」そのものは、成員(社員)を持たず、〈社団〉ではない、ということがあきらかになる。むしろ、「株式会社」の設立からして、資本の規定があり、また、株式総数を定款に記載する「資本確定の原則」、これを任意に変更しない「資本不変の原則」、そして、相応の財産(資産)を保持する「資本維持の原則」が認められることから、「株式会社」の本質は、個々の財産を一括する〈財団〉であり、それゆえ、「株式会社」は、現行法体系において「社団法人」に擬制しているとはいえ、法哲学的には〈財団法人〉である、と言えるのではないか。
このことは、以下のような法制にによっても補強される。すなわち、第一に、『商法』94の規定にもかかわらず、法人格の濫用でないかぎり、特定の事業について有限責任の利益を享受する場合など、株主を一人しか持たない「一人会社」のような、「株主総会」としても〈社団〉とは呼べないようなものもまた、通説上、認められる。というのも、「株式会社」において、「株主総会」と「取締役会」とで、「所有と経営の分離」が行われており、上述のように、機能的には、「株主総会」は、「株式会社」の後見監督人であり、一般の「意思無能力者」の場合の「後見監督人」同様、「取締役会」に対して監督という事務を行いうるのであれば、複数の成員から構成される〈社団〉であることに必然的な理由を持たないからである。そして、実際、「株主」は、「株主総会」によることなく、直接に「代表訴訟権」や「差止請求権」などの監督権を持っている。この意味において、「株式会社」の「株主総会」の〈社団〉としての性格も、けっして本質的ではないことがわかる。そしてまた、ここにおいて、問題となっているのは、「株主総会」や「取締役会」としての合議による組織運営ではなく、あくまで「株式会社」そのものの資産運営でしかない。つまり、「株式会社」において、「一人会社」のようなものが認容されうるのも、「取締役会」の介在によって、「一人株主」が組織の政治的な共益権の独占ではなく、事業の経済的な自益権の安全のみを目的としうるからである。
哲学
2017.06.28
2017.07.04
2017.07.20
2017.08.02
2017.08.30
2017.09.09
2017.10.18
2017.11.19
2017.11.22
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。