/教科書では、株式会社は、物的な営利の社団法人、と教えられる。しかし、その実際は、むしろ意思無能力な財団であって、その後見人としての支配権と正当性が、歴史的、社会的に揺らぎ続けている。/
また、「会社」は、経営学的に、〈人的会社〉と〈物的会社〉とに概念的に分類される7。〈人的会社〉は、「会社の人的要素としての社員と会社との関係が密接で個人的結合が強い種類の会社」(『辞典』)であり、「社員は、会社の業務執行に参加し、一方、会社に対する債権者に対して直接無限の責任を負う」(同)とされる。これは、「合名会社」などが典型である。これに対し、〈物的会社〉は、「物的要素である会社財産に重点があって、社員の個性が重んぜられず、社員はただ金銭的関係においてのみ、会社と関係を持つ資本的結合の性格を有する種類の会社」(『辞典』)であるとされる。これは、「株式会社」などが典型である8。しかし、この区別をもっと端的に言うならば、「人的担保ににおいて社団の議決権を有するもの」が〈人的会社〉であり、「物的担保において社団の議決権を有するもの」が〈物的会社〉であろう。したがって、私財や職務を無限責任として一人一票で議決する社団は、一般に〈人的会社〉であり、出資財産を有限責任として出資比率で議決する社団は、一般に〈物的会社〉である、と考えることができる。
2 法人の文化論的根拠
我々の現代社会は、〈個人〉と〈法人〉から成り立っている。すなわち、「基本的人権」関して、すべての個人(自然人)は、身分や能力を問わず、権利主体と認められる。これに加え、〈法人〉もまた、許可または準則によって登記されているかぎりにおいて、相続などの自然人に固有の問題を制限した上で、社会の成員として、基本的な権利を認められている。
しかし、このような〈個人〉に一部の〈法人〉を加えるという《社会成員原理》は、かならずしも自明のものではない。社会は、何から構成されるか、社会の成員、社会主体は何か、という問題を、《社会成員原理》と言うが、〈個人〉をそれぞれの家族の従属的立場に位置づけ、社会を複数の〈家族〉から成り立つものとする《家族主義》のような《社会成員原理》も、多くの社会で見られる。さらには、〈個人〉や〈家族〉の社会主体性を認めない《村落主義》や《国家主義》や《宗教主義》のような《社会成員原理》も、世界歴史的にはありうる。
また、逆に、《個人(自然人)主義》を越え、自然環境問題における人間の乱開発と対抗するために、「山のタヌキ」「野のウサギ」などという一般動物にまで、社会成員としての資格を発展拡大すべきである、というような《動物主義》を主張する者も実際に存在する。言うまでもなく、彼らは社会参加能力を持たない、などということは、その社会成員としての資格を否定する理由たりえない。というのも、自然人については、文字の書けない人間、それどころか、永続的に昏睡状態の人間、いわゆる「植物人間」9についても、社会の成員としての資格が認められ、完全な権利能力が与えられ、むしろ「後見人」によって法律的に保護が図られているからである。
哲学
2017.06.28
2017.07.04
2017.07.20
2017.08.02
2017.08.30
2017.09.09
2017.10.18
2017.11.19
2017.11.22
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。