すぐ隣のイスラム:その信仰と生活

画像: photo AC: TECHD さん

2017.07.20

ライフ・ソーシャル

すぐ隣のイスラム:その信仰と生活

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/イスラムはユダヤ教、キリスト教から発展してできたが、「原罪」の概念は無い。この世こそが楽園、人間はそれを楽しむためにいる、とされる。ただ、恩恵に帰依することを示すため、一日五回、清浄な礼拝が求められる。しかし、早寝早起、清潔健康で働けば、実際、だれもが仕事も人生も成功する。/

イスラム黄金時代

 中世ヨーロッパのカトリック・キリスト教では、被造物で半可知の人間ごときがものを考えることこそ「原罪」(本質的な悪)とされ、なにごとも教会にお伺いを立てるべきとされた。そのそも、この世はエデンの楽園から追放された呪われた地であり、ただ愚直・寛容・奉仕のみで教会に従うことが求められ、政治社会的にも、都市と都市は分断され、ただ教会の神聖管理でのみ、かろうじてヨーロッパとしての統一性を保っていた。ここでは、恐るべき凡庸な停滞、永劫の毎日が反復するのみ。騎士の子は騎士、農民の子は農民。それは、神の定めた摂理とされた。これが、ヨーロッパの中世暗黒時代。

 そのころ、中東では種々雑多な土俗宗教が町ごとにあった。とくにメッカは、隊商貿易の中心地として、周辺諸都市の神像三百体以上を奪い集め、これらをまとめて祭ることで、神像を奪われた都市の人々が訪れる一大巡礼地としても繁栄していた。この街の実直な商人モハメッドは、どういうわけかキリスト教にかぶれ、そのうち神の言葉を直接に聞くことになる。

 彼によれば、というより、彼が声を聞いたという唯一神によれば、キリスト教はいまいちだったそうだ。だから、その修正として彼に新たな教え、『コーラン』を授けた。まずキリスト教が根本的にまちがっているのは、人間の原罪。そんなものは無い、というのがイスラム教。たしかにアダムとイヴは神の禁を破って知恵の実を食べる、などということをやらかしたが、神は太っぱら、そんなちまいことをいつまでもウジウジと根に持ったりしていないし、追放も一時の話。つまり、この世こそが神に祝福されたエデンそのものであり、すべては神から人間への贈り物。人間は、それを楽しむべきだ、とされる。

 逆に、人間が「創った」もの、芸術や賭博、酒、豚(人工家畜)などは、厳しく禁じられる。そんなまがいものにうつつを抜かす暇があったら、神が真に創った世界こそを余すこと無く楽しめ、そのために人間は知恵を使え、とされる。たとえば、キリスト教では、砂漠で水を求めて、掘った井戸から飲めもしないベトベトしたタールが湧き出てきて、ときに火を吹くなら、それは悪魔の呪い。ところが、イスラム教では、そんなものでも神がくれた以上は、なにかありがたいもの。それがまさに石油。石油を売れば、世界中のミネラルウォーターをいくらでも買うことができる。

 キリスト教では、キリスト教以前のものを、あれもこれも邪教に汚れている、として遺棄したが、イスラムの連中は、この世のありとあらゆるものが神の贈り物であるとして、古今の知識、世界の文物をことごとく集める。おかげで、かれらは数学、幾何学、化学、建築学、医学、天文学に精通し、紙や羅針盤、火薬という三大発明から、ガラス、綿花、綿織物、風車、外洋帆船、コロン、消臭剤、炭酸水、香辛料、柑橘類、モモ類、時計、カメラ、飛行機まで、現代文明の元となるもののほとんどすべてを生み出していった。

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

フォロー フォローして純丘曜彰 教授博士の新着記事を受け取る

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。