/一月たっても枯れない花が、花か。真に現実に存在するものは、変わり続けていく。変わり方こそが、理想を体現する。だが、うまく変わっていくのも容易ではない。四つの要因、三つのステップを踏まえ、変わっていく勇気を持とう。/
あまり表沙汰にはならないが、ちかごろ老人施設では、昔の美容整形の始末が問題になるとか。全身シワだらけのおばあさんが胸だけプリンプリン、というのならまだしも、皮膜拘縮で石のようにガチガチ、パックの耐用年数(10年!)を過ぎて体内破裂、なんていうことも。まして顔は、骨格と表皮の萎縮でプロテーゼ(詰め物)が突出、経年の石灰沈着でデコボコに盛り上がる、などなど。
整形でなくても、あいかわらず団塊世代向けに、生涯現役、とか、いつまでも若々しく、とか、妙なCMや広告がいっぱい。実際、街中には、薄くなった髪を真っ黒に染めて、高価なセラミックの白い入れ歯をぎらぎらさせている背の縮んだおじ(い)さんとか、時代錯誤なマスカラ・アイシャドウ・アイライナーばっちりの厚化粧に、タンクトップとミニを併せたおば(あ)さんとか。
はっきり言って、もうゾンビ並みのバケモノ。でも、こういう連中にかぎって、やたらどこでも出しゃばり、自分勝手に若作りと年長者のダブルスタンダードをいいように使い分け、それで周囲の顰蹙を買っていても、年来鍛えた傍若無人ぶりを発揮して、まったく意に介さず、よけい面倒。これでは、子も孫も、まして嫁や婿も寄りつくまい。
一月たっても枯れない花が、花か。一年たってもカビないパンが、パンか。イデア、永遠不変の理想の実現を唱えたプラトンに対し、その学生だったアリストテレスは、師に反発して、変化こそが実在だ、と主張した。まともに変わらないものは、唾棄すべき作りもののニセモノ。いくら見せかけが美しくても、喰えないものは喰えない、老いぼれは老いぼれ。年相応の務めもわからぬ、ただのインチキ、身の程知らず。
真に現実に存在するものは、変わり続けていく。変わり方こそが、理想を体現する。真の「美人」は、見た目ではなく、その一生が美しいのだ。若くして愛らしく人に仕え、長じて健やかに働き、老いて静かに孫たちを慈しむ。モノでも、新しさが感性と想像力を刺激し、使って手に馴染み、古びて心に愛着を増す。時間の流れの中でこそ、存在は変化とともに輝く。
だが、うまく変わっていくのも容易ではない。進学したいのに、進学できない。就職したいのに就職できない、結婚したいのに結婚できない、昇進したいのに昇進できない。引退したいのに引退できない。このような停滞を強いられると、現実の中に存在する余地を失い、ニートだの、姥桜だの、世の中から外れた、不自然で醜悪な、なにかわけのわからないものにならざるをえない。
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
我、何を為すや。忙しさに追われ、自分を見失いがちな日々の中で、先哲古典の言を踏まえ、仕事の生活とは何か、多面的に考察していく思索集。ビジネスニュースとしてシェアメディア INSIGHT NOW! に連載され、livedoor や goo などからもネット配信された珠玉の哲学エッセイを一冊に凝縮。
哲学
2017.05.16
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2017.07.04
2017.07.20
2017.08.02
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。