/新製品だ、新開店だ、と、いまだにバブリーな話題を自慢げに振りまいている東京の連中を見ると、頭がおかしいとしか思えない。そんな底の浅いものを追っかけ廻し続けて、その先に幸せがあるとでも思っているわけ?/
ルネッサンス以降の近代というのは、人間がやたらなにかしたがる時代だった。なにが起こるか、後先を考えず、やらかす。そして、その後始末で大騒ぎして、またやらかす。その繰り返しの悪循環。いまでも、なんでも活性化。ジジイやババアまで、活動、活動。ガキのように落ち着きもなく、世界を飛び回り、スポーツに明け暮れ、政治に首をつっこみ、年甲斐も無く、あほな痴話揉め事で周囲まで引っかき回し続ける。
会社の仕事もそうだ。どう考えても売れそうもないものを、むりやり売ろうと大声を張り上げ、大量の営業でごり押しをする。客の方も、騙されて買ってはみたものの、結局、使わず、ゴミの山。それどころか、その支払いのために、奴隷のように働き続けて、人生を費やす。そんなの、仕事か? それはただのムダ遣いとその後始末じゃないか。
幸福というのは、元来、きわめて保守的なものだ。覚醒剤でラリっているような刹那の熱狂とは、むしろ対極にある。旅行だの、外食だの、娯楽だの、恋愛だの、贅沢だの、こんなのは、すべて現実逃避の麻薬。本来の生活に本当の幸せが無い連中が、永遠に逃げ続けているところ。きちんとした生活、家があって、家族がいて、そこに家庭の団欒があれば、テレビさえつけるまでもあるまい。
本当の仕事も、似たようなもの。商売は、常連の顧客を大切にして、定番商品を品切れさせない、値段を上げ下げしない、ということこそが第一。農業や漁業でも、同じ。天候や気象の変動があっても、工夫して難を避け、量と品質を安定的に確保する。まして、警察や消防、病院や福祉、電気水道ガス通信、汚水やゴミの処理、そして、警備や設備、みな、何事も無い保守こそ、重要な仕事。警察や消防の新開発新商売なんて、だれも望んでいない。いまのままの平穏をきちんと守ってこそ、それが崇高な仕事。
主婦も、家をいつも同じ状態に維持する大切な存在。あたりまえの食事、あたりまえの洗濯物、あたりまえの笑顔。なにも変わらないが、なにも変わらないことのありがたさにこそ、ほんとうはもっとも感謝すべき仕事。なのに、それが失われでもしないかぎり、人はその存在の大きさに気付かない。私も、学生のうちから母が入退院を繰り返し、亡くなった。脳天気に遊び歩く友人たちを横目に眺めながら、自分で家事をやってようやく、その大変さを理解した。
こういう生活や仕事の基本も無しに手を広げたがるのは、近代人の精神的な病。おまけに、それを礼賛する狂人たちが世の中に溢れかえっている。それでよけいに元来の大切な生活や仕事を自己破壊し、気がつけば、負のスパイラルで四苦八苦。四半世紀もたって、いまだに、新製品だ、新開店だ、と、バブリーな話題を自慢げに振りまいている東京の連中を見ると、頭がおかしいとしか思えない。そんな底の浅いものを追っかけ廻し続けて、その先に幸せがあるとでも思っているわけ?
哲学
2017.07.04
2017.07.20
2017.08.02
2017.08.30
2017.09.09
2017.10.18
2017.11.19
2017.11.22
2017.12.31
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。