/教科書では、株式会社は、物的な営利の社団法人、と教えられる。しかし、その実際は、むしろ意思無能力な財団であって、その後見人としての支配権と正当性が、歴史的、社会的に揺らぎ続けている。/
このような意味において、本章においては、あえて日本の制度と文化を問うた。というのも、アメリカなどでは、いまだパートナーシップによる企業経営の伝統が色濃く残っており、経済主体としての〈法人〉の自立性は、「法人資本主義」などと言われるように、おそらく日本の方がはるかに進んでいると考えられるからである。そして、本章の主張は、端的に言えば、次のようになる。すなわち、たしかに、現在の企業法人が、現行法体系に準則しているとしても、それは、現行法体系を援用するための手段として擬制にすぎないのではないか、ということである。もっと直接的に言えば、現在の企業法人は、法律上は〈社団法人〉であるが、実質上は〈財団法人〉なのではないか、ということである。
もちろん、「株式会社」の《財団説》の主張そのものは、法学的にはかならずしも特別に新しいものではない。それゆえ、我々は、この点に関し、いまさらたんに、「株式会社」は財団であるべきである、などということを主張するのではない。そうではなく、なぜ実質的に〈財団法人〉である現代の「株式会社」が、これを〈社団法人〉とする日本の現行法体系内で法律的に存立しえてしまっているのか、という、この擬制を許容する社会文化の概念(具体的には、意思無能力者と表見代表者から類推の仕組)と法体系の形式の関係こそを問題にするのである。
1 現行法体系の構造
株式会社としての企業の法哲学的、経営哲学的な構造を問うにあたって、専門の者には常識ではあろうが、本章の主張との対比を明確にするために、まず、現在の日本の法体系における企業の形式的な位置づけを、『民法』および『商法』に即して整理しておこう。この際、私的ながら斯界の標準と目される内閣法制局法令用語研究会による『法律用語辞典』(以下『辞典』)2を援用することによって、問題を明確にしていこう。ここにおいて、術語は引用符(「 」)で、概念はギュメ(〈 〉)で表記する。また、本文や説明など、判断留保を伴う引用も、引用符を用いる3。
最初に我々が正しく把握しておかなければならないのが、「企業」の概念である。それは、『辞典』によれば、「一定の計画に従い継続的意図をもって経済活動を行う統一ある独立の経済単位」である。それゆえ、広義には、「企業」は、公益に関するものも含むと考えられる。また、「企業」は、後述する「社団」や「会社」である必要もなく、公益企業も含めて(『商法』2)、『商法』の全体が対象とする広義の「商人」としての行為主体の概念であると言うことができる。しかし、行為主体であっても、かならずしも権利主体とはかぎらないことに、あらかじめ注意しておかなければならない。たとえば、奴隷は、実質的な行為主体となりうるが、法律的な権利主体とはなりえない4。
哲学
2017.06.28
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2017.11.22
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。