/十八世紀、メイソンリーという新たな国際ネットワークの中で、新旧両教の対立は大きく構図を変え、北米、南米、エジプトへの近代十字軍の構想とともに、えたいの知れない山師たちが各地で暗躍するようになる。/
「だったら、それこそブリュッセル市なんかにいられないだろ。あそこはスペイン領の中だ」「いや、スペイン継承戦争の後のユトレヒト条約で、南ネーデルラントは、ブルボン家スペインからオーストリアに移譲されたんだ。タクシス侯家の郵便事業なんて、表向きの仕事で、本業は諜報活動だ。平気で他人の手紙を開け、要人たちの交流や交通をウィーンの宮廷に報告していた」「当時の手紙って、開封できないように、封蝋と封印でしっかり密閉されていたんじゃないんですか?」「開封できない、と信じさせておかないと、平気で秘密を手紙に書いてくれないからね。配達の遅れで気づかれないように、三時間以内で開封、複写、再封を終わらせていたそうだよ」「タクシス侯家は、最前線のブリュッセル市に留まって、そうやって宿敵フランスの様子を伺っていた、と」「まあ、さすがに一七二四年には、フランクフルト市まで後退するけどね。だが、連中が住んでいたのは、これまた帝国郵便官舎の中だ。フランクフルト市の商業地区の中心、ハウプトヴァッヘのちょっと北のところ」
「それで、タクシス侯家の諜報って、ほんとうに役に立っていたのか?」「どうかな。問題が東に移ってきていたからね。ほら、森山、ツォレルン家って覚えているか?」「ああ。中世は皇帝のニュルンベルク城代伯で、西南ドイツの自由都市を荒らしてニュルンベルク市民にも追い出されたのに、教会大分裂とチェコのフスを始末する一四一四年のコンスタンツ公会議で、どさくさに紛れてブランデンブルク選帝辺境伯になってドイツ騎士団残党を抱え込んだ。そこの悪兄弟がマインツ聖座大司教の地位をカネで買って、その支払いのためにフィレンツェのメディチ家やアウグスブルクのフッガー家と組んで免罪符を売りまくったから、一五一七年の宗教改革が起こったのに、ブランデンブルク選帝辺境伯は早々とルター派に乗り換えたんだろ。そのツォレルン家がどうかしたのか?」
「ブランデンブルク選帝辺境伯は、カトリックからルター派に乗り換えたのと同時に、皇帝の臣下から実質的にポーランド王の臣下に乗り換え、プロシア選帝公国になった。ところが、主国のポーランドは一五七二年に王家が断絶、貴族たちの選挙王制になってしまい、プロシア公国は事実上の独立国になる。そして、一七〇一年のスペイン継承戦争で皇帝に傭兵八〇〇〇名を貸す代わりに、王国の地位を認めさせた。さらに一七〇六年には、ハノーファー選帝公ジョージ一世の娘を娶っている。その義父が一四年には大ブリテン王に」「すごいな、カトリックとルター派、神聖ローマ皇帝とポーランド王、そして、大ブリテン王、と、次々うまく乗り換えて、ツォレルン家は留守城の管理人から独立国の王にまでのし上がってきたわけか」
歴史
2017.08.12
2017.10.04
2017.10.23
2018.01.28
2018.02.17
2018.07.10
2018.07.17
2018.07.24
2018.08.17
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。