/十八世紀、メイソンリーという新たな国際ネットワークの中で、新旧両教の対立は大きく構図を変え、北米、南米、エジプトへの近代十字軍の構想とともに、えたいの知れない山師たちが各地で暗躍するようになる。/
「いや、いまだにそうでもないところもあったぞ。チューリンゲン州ってわかるか?」「昔の東西ドイツ国境のあたりだろ。北のハルツ山脈と南のチューリンゲンの森に挟まれた廊下のような丘陵地帯だな。歴史地図だと、あのあたり、小国だらけで、わかりにくい」「七年戦争でプロシアとハノーファー・大ブリテンが連合してしまった以上、ドイツは東西ではなく、南北に割れることになってしまった」「つまり、宗教戦争の時代の北部プロテスタント国と南部カトリック国ということですね」「それで、その隙間のチューリンゲン州の小国が奪い合いになったんだ」
「チューリンゲン州か。周辺の大きい国ならわかるぞ。ハルツ山脈の北側は、まずベルリン市を中心とするプロシア選帝王国だろ。その西が大ブリテンとも同君連合で、北海やバルト海まで広がるハノーファー選帝公国だな。その中にはリューベック市、ハンブルク市、ブレーメン市のようなハンザ同盟自由都市が含まれている」「プロシア選帝王国とハノーファー選帝公国の間にも、ハノーファー選帝公分家のブラウンシュヴァイク侯国というのが挟まっているな」「一方、南のチューリンゲンの森の南側は、西からヴュルツブルク司教領、バンベルク司教領、バイロイト侯国」「で、問題のチューリンゲンの廊下だが、西端がヘッセンカッセル方伯国、ここから順にアイゼナッハ市、ゴータ市、エアフルト市、ワイマール市、イェナ市が並んでいる。これらのうち、アイゼナッハ市とワイマール市、イェナ市がワイマール公国で、ゴーダ市がゴーダ公国、エアフルト市がマインツ選帝大司教領飛び地。廊下の東が、ポーランド王国と同君連合のザクセン選帝公国。ただ、その首都ライプツィッヒ市のすぐ北のハレ市やマグデブルク市は、もうプロシア選帝王国だ。そのうえ、プロシア選帝王国のハレ市とマグデブルク市の間に、前に話した十三世紀以来の歴史を誇るだけの弱小名家、アンハルト公国が挟まっている」
「宗教的にもチューリンゲンの森が問題のカトリックとプロテスタントの境目ですよね」「でも、ザクセン選帝公国はポーランド継承戦争で宮廷だけカトリックになっていたし、ハノーファー選帝公国も、大ブリテン王国との関係で英国教会に近い立場だ。くわえて、ハンブルク市とカッセル市、アンハルト市は、ルター派ではなく、フランス人ユグノーの移民を受け入れたカルヴァン派で、西北のネーデルラント(オランダ)や西南のプファルツ(宮中)選帝伯領と連なっていた」「このあたり、なんでこんなにややこしいんですか?」「ザクセン人というのが、ゲルマンの習慣で、分割相続を繰り返したからだよ。そのくせ、血脈断絶で継承統合するから、あちこちが飛び地で絡み合ってしまった」「このあたりのごちゃごちゃをうまくまとめたやつが、ドイツを制する、というわけだな」「それだけじゃないよ。ここは、アルプス以北ヨーロッパの交差点だ。ここを握ってドイツを制すれば、ヨーロッパ全体も統一できる」「それで、ここが七年戦争の焦点になったんだな」
歴史
2017.08.12
2017.10.04
2017.10.23
2018.01.28
2018.02.17
2018.07.10
2018.07.17
2018.07.24
2018.08.17
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。