/十八世紀、メイソンリーという新たな国際ネットワークの中で、新旧両教の対立は大きく構図を変え、北米、南米、エジプトへの近代十字軍の構想とともに、えたいの知れない山師たちが各地で暗躍するようになる。/
「でも、十八世紀半ばなんて、大ボラ吹きだらけだぜ。だいいち、有名なホラ吹き男爵、ミュンヒハウゼンも、この時代の人だ」「オオカミの馬車でロシアに行ったとか、大砲の玉に乗ってトルコへ行ったとか言っているホラ吹き男爵も実在なんですか?」「ああ、ブラウンシュヴァイク侯に仕えて、一七三六年から三九年にかけて、ほんとうにロシアのクリミア半島でオスマン・トルコと戦っている」「暴風に巻き込まれて月に行ったのも?」「そりゃ、ウソだ」「ほんとうに?」「一七五〇年、三〇歳でハーメルンの近くの村に戻り住んで、若い頃の冒険譚を好き勝手に脚色して話してたんだろうな」「平和で、陽気そうなホラじゃないですか」「そういうのなら、害も無いし、いいんじゃないのか」
「四五年のジャコバイト王チャールズ三世の蜂起を手助けしたフント男爵も、一七五〇年に帰ってきた」「でも、シレジアは、もうプロシア選帝王国のものだろ」「ああ、オーデル河上流のシレジアは、プロシアにとって、ザクセンとポーランドを分断し、皇帝のボヘミアを臨む次の一手のかなめだ。得意の直轄植民で地歩を固めた」「じゃあ、どこに?」「しかたないから、ザクセン選帝公兼ポーランド王に泣きついて、ドレスデン市の東、プロシアとシレジアを繫いでいるオーデル河の廊下の近くに新しい領地をもらったんだ」「つまり、フント男爵は、ザクセン選帝公の子分になった、ということですね」「ザクセン選帝公国は、三三年からのポーランド継承戦争ではプロシアの支援を仰ぎ、四〇年からのオーストリア継承戦争ではプロシアの支援に応じたが、気づいてみれば、東ではポーランドとの間をプロシアのオーデル河の廊下で分断され、西ではエルベ河支流ザーレ川沿いにハレ市まで割り込まれていた」「いい状況じゃないな」
「もっと危機的だったのが弱小名家アンハルト公国。ザーレ川のハレ市がプロシア選帝王国の飛び地になっていた以上、間に挟まっているアンハルト公国がプロシア選帝王国に侵略されるのは時間の問題だった。ここを取れば、プロシア選帝王国はエルベ河を遡り、ザクセン選帝公国のドレスデン市、さらにはボヘミア(チェコ)王国のプラハ市まで攻め込めるからね」「そんなの、プロシアの「大王」フリードリッヒ二世さまなんだから、とっとと取ってしまえばいいじゃないか」「そう簡単でもないよ。プロシア選帝王国は、ルター派とはいえ、その戦力は、一六八五年のフォンテーヌブロー勅令でフランスから移民でやってきたカルヴァン派の子孫だ。相手がカトリック国ならともかく、カルヴァン派のアンハルト公国を侵略しようとすれば、クーデタが起きかねない。同じカルヴァン派の多いネーデルラントや大ブリテン、その親族のハノーファー選帝公国も黙ってはいまい。おまけに、アンハルト公国は、十三世紀以来の伝統を誇っていた。それこそ、ニュルンベルク城代伯から成り上がったプロシア選帝王国に欠けていたもの。もしそこを攻めれば、歴史の破壊者として、ヨーロッパの王侯貴族すべてを敵にまわすことになってしまう」「フリードリッヒ二世は、大王であっても、後の皇帝ナポレオンみたいにはなりたくなかったんだろうな」
歴史
2017.08.12
2017.10.04
2017.10.23
2018.01.28
2018.02.17
2018.07.10
2018.07.17
2018.07.24
2018.08.17
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。