/フリーメイソン(自営石工)のブルーロッジは、中世、さらには古代にまで遡る。だが、近代になって、各地のロッジを統括し、政治利用しようとするゼネコン連中や投資家連中が、その上にレッドロッジ(グランドロッジ)を作り、その支配権の争奪を始める。/
ガーター騎士団とロンドン復興
「それにしても、ずいぶん貴族っぽいお集まりだな」「いや、だってメイソンは騎士ですから」「そうなの? メイソンなのに石工職人じゃないの?」「……」「もともとフリーメイソンは、独立自営の石工の親方なんだから、みな同格。そのそれぞれの親方のところの徒弟たちが、準会員。でも、ルネッサンスのころ、工房が大きくなると、もはや親方の徒弟ではないものの、独立自営の工房を興せるほどではない中堅職人たちが出てきた。それで、メイソンの位階は、親方、同輩、徒弟の三階層になった」「それ、ブルーロッジでしょ。私たちは、その上のレッドロッジなんです!」
「でも、自由・平等・友愛をうたう水平主義のメイソンなのに、そんな高層の垂直身分制って、おかしくないか? そもそも、いかなる世俗君主の支配からも解放された自由ギルドであることが誇りのフリーメイソンなのに、上位階層が、ロイヤル・アーチ・チャプター(王認首座参事会)って、何なんだよ? それをロイヤルと認めた王って誰だ?」「それは……」
「知らないのか? 話は遡って十四世紀だ。一三〇七年、イングランド王・アンジュー伯家のエドワード一世が亡くなると、カペー王家とカトリック教会は、聖堂騎士団を異端として逮捕処刑を始める。ところが、一三二八年にはカペー王家の方も断絶してヴァロワ伯が継ぎ、これにイングランド王アンジュー伯家エドワード三世が異議と唱えて、一三三七年から百年戦争。そのエドワード三世が、四八年、自分を含め、ウインザー城に集まった長男のエドワード黒太子以下、総勢二六名で結成したのが、ガーター騎士団」
「聖堂騎士団の主力残党は、東北ドイツやイベリア半島に逃げて、チュートン騎士団やキリスト騎士団になったんですよね。二六名だけのガーター騎士団って、なんの意味があったんでしょうね?」「さぁ。聖堂騎士団を引き継ぐ気だったのは確かだけれど、いまじゃ、ナポレオンが捏ち上げた、救院騎士団の角が一つ多いフランスのレジオン・ドヌール(名誉軍団)勲章と同じように、他国君主への外交上のバラマキネタだからねぇ」「おやおや、先生、なんか知ってるんでしょ。もったいぶらずに教えてくださいよ」「もともとは、百年戦争のための出資ファンドだったんじゃないのかな」「つまり、百年戦争で現状のフランス西半だけでなく、ヴェロア伯の抑えている東半も取ったら、それをやる、ただし、そのための戦費をまず出資をしろ、ということかな」「ああ、多ければ多いほどいいはずの騎士団なのに、人数を制限しているのは、後での分け前を前提としているからですね」
歴史
2017.08.07
2017.08.12
2017.10.04
2017.10.23
2018.01.28
2018.02.17
2018.07.10
2018.07.17
2018.07.24
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。