フリーメイソンの成立事情を巡る対話:レン・ニュートン・ラムゼー

2018.01.28

開発秘話

フリーメイソンの成立事情を巡る対話:レン・ニュートン・ラムゼー

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/フリーメイソン(自営石工)のブルーロッジは、中世、さらには古代にまで遡る。だが、近代になって、各地のロッジを統括し、政治利用しようとするゼネコン連中や投資家連中が、その上にレッドロッジ(グランドロッジ)を作り、その支配権の争奪を始める。/

「疫病や大火なんて、ほんとにイエズス会がやったんですかねぇ?」「疫病や大火はともかく、この時期にウラでいろいろうごめいていたのは事実だろうね。おまけに、この反カトリックヒステリーは、チャールズ二世の跡継ぎ問題に波及した」「ああ、正嗣がいないままだったんですよね」「それで、カトリックの王弟ジェームズ二世が継ぐ可能性が出てきて、清教徒らが反対して「ホィッグ(謀反人)党」と呼ばれ、国教徒らは「トーリイ(山賊)党」と呼ばれるようになった」「王認協会のメンバーは、みんな王党派だから、また面倒なことになりそうですね」「それだけじゃないよ。アヘン中毒のニュートンが、事務長のフックに絡んで、ぐっちゃぐちゃ。おまけに、王党派国教徒トーリイ党だらけの王認協会にあって、偏屈なニュートンはユニテリアンのホィッグ党寄り」「そりゃ面倒だ」

ヘッセンカッセル方伯国

「国王チャールズ二世は、議会そのものを開くのを止めて、カトリックのフランス太陽王ルイ十四世に支援を仰ぎ、八五年二月に死去。問題のカトリック王ジェームズ二世がイングランド・スコットランド合同王に即位。十月、フランスのルイ十四世は、フォンテーヌブロー勅令で、一五九八年にユグノー戦争を終結させるためにアンリ四世が出した、個人の信仰の自由を認めるナント勅令を破棄。新教徒は拷問で、むりやりカトリックに改宗させた」「イングランドとフランスがともにカトリックになれば、逃げ場もあるまい、というところですか」「いや、フランスの新教徒、それも新興産業の担い手、十数万人が、ネーデルラント共和国やスイス連邦、プロシア選帝公国、ヘッセンカッセル方伯国に逃げた」

「ヘッセンカッセル方伯国?」「新教の盟主国だよ。もともと一五二四年にルター派に一番乗りし、一六〇五年にカルヴァン派に乗り換えたが、一六一四年の薔薇十字友愛団事件でも、イングランドからハプスブルクまで、北半ヨーロッパを横断する反カトリック領主連合を画策していた中心だ。その後、三十年戦争の混乱、財政疲弊、親族戦争で、停滞が続いていたが、「博学」モーリッツ方伯の曽孫、若いカール方伯二九歳が、フランスを追われた新教徒、四万人を免税特典で積極的に迎え入れ、フランス語の学校や教会まで作って、一気に近代的な産業力を獲得した」「フランスは、バカなことをしたもんですねぇ。しかし、半世紀も放漫財政だったカッセル方伯に、よくそんなカネがありましたね」「フランスの新教徒って言ったって、みんながみんな新興産業の熟練技術者なわけがないだろ。カール方伯は、その他の無骨な大量の新教徒フランス人移民で常備軍を作って、八七年、ヴェネチア共和国の対トルコ戦争に傭兵として送り出し、それで外貨を稼いだんだ」「移民のためのカネは移民に稼がせたというわけですか」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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