​大衆の誕生:古代ローマからナポレオン時代まで:文明論の視座から

2025.03.08

ライフ・ソーシャル

​大衆の誕生:古代ローマからナポレオン時代まで:文明論の視座から

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/平等だが協調なき顔無しの人々、大衆。彼らはそれぞれ無知と誤解に満ちた異なる歴史の異なる世界に生きています。人権の全能感と無名の劣等感のコンプレックスが、つねに彼らを不平と不満で苦しめ、他人との比較と競争に駆り立てますが、実際は確率に支配されています。そのため、彼らは無責任で、他人に便乗したがり、一時的な連帯感を得るためにいつも共通の敵を探しています。/

「裕福な平民は、貧しい新領主にとってうっとおしかった」

1534年にカトリックを離脱していたイギリスがプロテスタント側で戦争に介入し、フランスのユグノー戦争は、個人の信教の自由を保障する1598年のナント勅令で、かろうじて終結しました。ところが、神聖ローマ皇帝は、再び全国民にカトリックを強制し、国際的な三十年戦争(1618-48)を引き起こしました。

「彼は時代がどの変わったかを理解していなかった」

一方、この機に、英国ジェントリは農地を羊の飼育に転換し、村々で羊毛手工業を始めました。しかし、政府は大陸での戦争への介入費用を税金引上で賄おうとし、イングランド内戦(1642-60)になりました。単発マスケット銃と長槍を装備したジェントリの歩兵は、王党派の騎兵よりも優れており、領主や騎士の終わりを告げました。

「政府がフランスやドイツのジェントリの支援費用を負わせれば、国内のジェントリが怒るのは当然だ」


22.4. プロジェクトブーム

国際戦争で土地が荒廃し、さらにふたたびペストが蔓延して、ヨーロッパの人口の多くが戦争、飢餓、ペストで失われました。さらに、1666年の大火でイギリスのロンドンのほとんどが消失しました。一方、戦争が早く終わった南フランスでは、ユグノーの小商人が機械時計などさまざまな新技術を試みていました。

「機械時計は航海で経度を測るのに重要だったんでしょ?」

そう、海外貿易は課税や戦争よりもヨーロッパに富をもたらしました。インドや東アジアだけでなく、新大陸やアフリカも大きな可能性を秘めていました。新大陸のジャガイモは荒廃した農地を救い、貧しい人々の食料を支えました。これに続いて、トマトや唐辛子がヨーロッパ人の味覚を劇的に変えました。また、アフリカでの激しい部族間の争いは、大量の黒人奴隷を無尽蔵の消費財として低価格で売り出し、鉱業、砂糖、タバコ、綿花などの新大陸での新たな事業を実現するのに十分な労働力を供給しました。

「しかし、焼け落ちた都市と時代遅れの王がいる英国では、どうしようもない」

フランスの太陽王ルイ14世(1638-1715)は、建設中の壮麗なベルサイユ宮殿の庭で珍しい植物を育て、豪華な料理を延々と楽しみ、新しい領主に自分の作法を押し付けました。一方、イギリスの王立協会(1660-)は、レン(1632-1723)やニュートン(1642-1727)のような科学者の私的団体であり、地方のジェントリの私的資金でロンドン再建を主導しました。ジェントリは田舎の荘園を離れ、都市に移り住み、ブルジョワジー(城下住民)と呼ばれました。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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