/平等だが協調なき顔無しの人々、大衆。彼らはそれぞれ無知と誤解に満ちた異なる歴史の異なる世界に生きています。人権の全能感と無名の劣等感のコンプレックスが、つねに彼らを不平と不満で苦しめ、他人との比較と競争に駆り立てますが、実際は確率に支配されています。そのため、彼らは無責任で、他人に便乗したがり、一時的な連帯感を得るためにいつも共通の敵を探しています。/
「結局、リバティは狭いコミュニティの中でしか成り立たない」
22.2. 中世封建制
ゲルマン人はそれぞれ独立の部族コミュニティを持っていました。しかし、ピレネー山脈の向こう側のイスラム勢力と戦うのに、トップリーダーは、王として認められるために、ローマカトリック教会と与しました。しかし、王の支配を嫌う他の小部族のリーダーたちも、部族の土地を教会に寄付し、そこに私的な修道院を建て、その修道院長の地位を継承する一族が、実質的に修道院の荘園を所有しました。こうして、自由な部族コミュニティは、領主と平民に分かれました。
「どさくさにまぎれて、封建領主は部族の土地を自分たちのものにした」
ローマ帝国後期以来、修道院は自活できる十分な土地を持つ小さな独立した都市国家でした。しかし、修道士たちは名家の知識人であり、「祈り働け」というスローガンに反して、みずから働くことはけしてありませんでした。その代わりに、修道院は、多くの農民、サーフ(農奴)を抱えていました。彼らは土地を借り、収穫やその他の労働を提供しました。修道院の領主は司法権を持ち、なにかと税を課しました。
「神の下の平等はどこにいった? どうして彼らは逃げなかったの?」
当時、ヨーロッパは暗い森に覆われ、盗賊だらけでした。おまけに、9世紀には北欧のヴァイキングが襲って来ました。修道院は武装騎士、ミニステリアルも抱えており、農民はその保護が必要でした。さらに、修道院には馬丁、鍛冶屋、大工などの職人もたくさんいました。修道院には水車やその他の機械があり、パンだけでなくハチミツ、ワイン、ビールも作って、商品として売り、ホテルや病院も経営していました。だから、リバティもフリーダムもありませんでしたが、所属で安全は得られました。
「誰にとっても命はリバティより大切ですよ」
領主たちは積極的に人々を集め、森林の開拓を進めました。また、カトリック教会の司教たちは古代ローマの都市を発展させました。こうしてヨーロッパは複雑なモザイクとなりました。しかし、十字軍によって商業が広く発展し、商人たちは交通の要衝に都市を建設しました。彼らはギルドを組織し、武装した十字軍騎士団とともに国際的な貿易や金融を行いました。彼らの都市は、皇帝の認可を得て、近隣の司教や領主の干渉を拒絶し、自由都市として自治権を得ました。
「ああ、ようやくフリーダムが得られた」
いや、それは名ばかりでした。メディチ家やフッガー家などの名門商人が都市貴族になり、平民を支配したからです。それでも多くのサーフや職人がフリーダムを求めて都市に逃げ込みました。一年を越えて身を潜めれば、封建領主の束縛から解放されたからです。しかし、自由都市でも、彼らは都市貴族の労働者として生きるしかなかった。
歴史
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2025.03.08
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
