/平等だが協調なき顔無しの人々、大衆。彼らはそれぞれ無知と誤解に満ちた異なる歴史の異なる世界に生きています。人権の全能感と無名の劣等感のコンプレックスが、つねに彼らを不平と不満で苦しめ、他人との比較と競争に駆り立てますが、実際は確率に支配されています。そのため、彼らは無責任で、他人に便乗したがり、一時的な連帯感を得るためにいつも共通の敵を探しています。/
「ルネサンスの優れた芸術家たちも、パトロンの犬に過ぎませんでしたからね」
22.3. 絶対君主制
かつては封建領主が、そのミニステリアルやサーフを動員することで、戦闘力を持っていました。だから、緊張関係にもかかわらず、王と領主は協力していました。しかし、十字軍の失敗やペストの流行により、宗教支配は衰退し、サーフが不足しました。そのため、領主は賃金で農民を集めなければならなくなりました。一方、王は、封建領主の代わりに、フランシス・ベーコン(1561-1626)のような官僚を雇い、外国人傭兵に頼らざるを得ませんでした。
「多くの逃亡サーフを率いて、かつてのミニステリアルは自由傭兵の将軍となったのだろう」
王はお気に入りの官僚に領主の称号を与えましたが、実際の領土支配権はありませんでした。王は大領主だけは家臣に受け入れたものの、他の者は無役のジェントリとしてかろうじて社会的地位を保ちました。一方、農民の中には金を稼いで土地を買い、独立したヨーマンリになり、さらに土地を手に入れて他の農民に耕作させることでジェントリになる者もいました。
「没落した領主と成り上がりのサーフはいまや同じ階級となった。彼らは王や新領主に従わないだろう」
税収を増やすため、王と名ばかりの領主は、傭兵を使って領土内の教会や都市貴族の都市を征服しました。しかし、そこには平民も増えていました。彼らは小商人、職人、酒場経営者、正体不明の貧民でした。教会と都市貴族の支配から解放されたとはいえ、彼らも王や新領主を歓迎しませんでした。
「彼らはもともと封建領主からフリーダムを求めて逃げてきた人々なのだから、王や新領主を歓迎するわけがない」
北ドイツ、南フランス、フランドル=ネーデルラントは、以前から羊の飼育や羊毛の手工芸が盛んで、それぞれバルト海、レバント、北海との貿易で繁栄していました。16世紀に気候が小氷期に入ると、毛織物の輸出はさらに価値が高まりました。何人かの王がこれらの地域をめぐって争ったものの、だれも手に入れられず、都市貴族や近隣の羊毛産業のジェントリは、逆にルター派やカルヴァン派のプロテスタントとして自治権を保つことができました。
「これらの地域は、自由というより、隙間だった」
とくに南フランスは、12世紀には異端のカタリ派の温床となり、その後はイングランド側のノルマン・アンジュー=トゥールーズ帝国の領土となり、百年戦争(1337-1453)を引き起こしました。当時、スペイン=オーストリア帝国のハプスブルク家はカトリック側にあり、新大陸からの金銀で富を蓄え、レコンキスタのための常備軍を備えていました。だから、新領主達は、そのハプスブルク家を巻き込んで、プロテスタントに対するフランス・ユグノー戦争(1562-98)とオランダ八十年戦争(1566-1648)を始めました。
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
