​三世紀から五世紀にかけてのインド仏教の大変革:浄土教・密教・華厳教

画像: 2015年のホログラムプロジェクト: Zheela Noori 女史のtwitterから

2024.10.21

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​三世紀から五世紀にかけてのインド仏教の大変革:浄土教・密教・華厳教

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/三世紀の異民族クシャナ朝、五世紀の復古グプタ朝によって、仏教は大きく変わり、中観派、大乗浄土教、密教や華厳宗、瑜伽行派、そして禅宗の端緒など、シッダールタの現実否定的な教えとはまったく違うものへと展開していく。/

「しかし、統一された漢王朝は、農業や識字を含め、東方全域に共通の文化を確立しましたよね?」

ええ、それが匈奴、高句麗、日本、臨沂などの近隣諸国を発展させ、中国を脅かす国もいくつかありました。そのほか、地中海ではローマ帝国が支配し、ペルシアではササン朝が勃興しました。また、匈奴に押されて、中央アジアの遊牧民がインドに南下し、クシャナ朝を建て、仏教を採り入れました。

「中国内乱の間に、世界ではいくつもの大帝国が誕生していたんですね」

しかし、当時の仏教はさまざまな部派に分かれ、規則や教義をめぐって争っていました。最大の宗派は一切有部で、クシャナ朝の支援を受けて、さらに勢力を拡大しました。それは、我々が一時的な現象しか認識できないとしても、その背後に仏法、恒常的な世界原理が存在する、と主張しました。しかし、医師ナーガールジュナ(200年頃)は、すべては偶然の条件によって引き起こされた一時的な現象にすぎず、世界の実体は空である、とし、断定的に考えない中庸の知恵を求め、その信奉者は「中観派」または中道主義者と呼ばれました。

「つまり、仏法が実在するかどうか、という問題ですね」

クシャナ朝は、首都をインダス川上流の台地、ペシャワール盆地に置きました。この地域はかつてアレクサンダー大王によって征服され、以来、ギリシア風のガンダーラ文化が残っていました。ここでは、阿弥陀仏の神格化により、仏教は大乗、つまり大衆救済に変わりました。それによると、阿弥陀仏は、悟りを開いた傑出した僧で、西方浄土を創り、そこで死者に仏教を教え、彼らにも悟りを与える、とされます。だから、死後に浄土に迎え入れられるように、我々は日々、その名を唱えるべきである、とされました。

「古代ギリシアに救世主なんていましたっけ? それともアレクサンダー大王を救世主だと思ったのでしょうか? いずれにせよ、無常の現実を直視するというシッダールタ本来の仏教とはまったく異なりますね」

浄土教はクシャナ朝で流行しましたが、クシャナ朝は375年にペルシャのササン朝に滅ぼされてしまいました。ところが、浄土教は五世紀に経典や仏像とともに中国に伝わりました。中国はあいかわらずの混乱でしたが、浄土教は、むしろ終末論、世界の終わりへの恐怖とともに広まりました。皇帝たちはそれを繰り返し弾圧しましたが、最終的に一部の皇帝はそれに改宗しました。

「何百年も内戦じゃ、死後を阿弥陀仏に頼るしかなかったのでしょう」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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